2011.11.6 西福岡教会説教      中川憲次

説教題 「人生は実る」

 

 

 

聖書箇所 コリントの信徒への手紙一 第 15 章 50 節―58節

「わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、 主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの労苦が決して無駄にならな いことを、あなたがたは知っているはずです。(58節)」

本日のテキストの57節は、こう言っていました。「わたしたちの主イエス・キリスト によってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。」

この言葉は、同じパウロのローマの信徒への手紙7章25節を思い出させます。パウロ曰 く、

「わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。」

なぜそのようにパウロが感謝するかと申しますと、それはパウロが人間の惨めさに気づ いていたからではないでしょうか。同じローマの信徒への手紙7章の18節でパウロはこ う言っています。

「わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っていま す。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです」そして、22節 から24節ではこう言っています。

「『内なる人』としては神の律法を喜んでいますが、わたしの五体にはもう一つの法則が あって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分か ります。わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわ たしを救ってくれるでしょうか。」

パウロの言う惨めさは、私たちにも思い当たる人生の惨めさでしょう。この惨めな人生 については、本日の箇所で言うなら58節の「労苦」という言葉がよく表しています。こ こで「労苦」と訳された言葉はコポスというギリシャ語です。このコポスというギリシャ 語は、コプトーという動詞を元にしてできた名詞です。コプトーという動詞は「打つ」と いう意味です。「打つ」とは文字通り、鉄を打つとか、畠を打つとかいう意味をあらわし ます。とにかく、しんどい肉体労働です。だから労苦です。そこから、「胸を打つ」とい う意味にも発展したようです。そうすると、胸を打つような悲しみに繋がる労苦という意 味になるでしょう。黒人奴隷たちの苦しい労働が連想されます。この言葉は英語に直すと labour です。ラテン語の labore から来た言葉です。ラテン語の labore は、修道士の労働 を表すのにベネディクトゥスが使ったので有名です。ベネディクトゥスは自分が創設した 修道院のモットーを ora et labora といたしました。それは「祈れ、そして働け」という意 味の言葉です。この場合の労働とは、まずは農作業であり、橋を架けたりする土木作業な ど、大変な肉体労働が中心でした。それは確かに労苦でした。このような言葉の歴史を辿 るコポスという言葉を本日の箇所でパウロが使っているところに、私は人の人生を見るパ ウロの思いやり深いまなざしを感じます。パウロは、人の苦しみを実感していたのでしょ う。私たちは本日、この教会に連なる故人の写真を前に並べて、このように永眠者記念礼拝を守っています。この永眠者の方々の人生を思い出すとき、私たちはその人生が如何に 労苦に満ちたものであったかを思い出さないでしょうか。この西福岡教会で、ここ二、三 年のうちに天に召された方のことを思いだしてください。私は、この教会で説教させてい ただくようになって日が浅いので、この教会の教会員の中でなくなった方の思い出はあり ません。それで、この二,三年の間に亡くなった人と言えば、母のことを思い出します。 母は二年前の 4 月 12 日に 88 歳で亡くなりました。母の生涯はまことに労苦に満ちたもの でした。母は小学校 4 年の時にお母さんを失っています。私の祖母に当たりますが、祖母 は結核に罹って隔離されていた小屋に火をつけて焼身自殺をしたのだと言います。私の母 は、自分の母親が小屋の中で火に包まれて焼け死んでゆくのを見たというのです。その後 は母、小学校を 4 年で中退して、弟達の母親代わりになって働き通したといいます。成人 して復員してきた兵隊と結婚して姉と私が生まれたのですが、姉は一年も経たないうちに 死んだそうです。そして私の父も死に、母は 30 代半ばで寡婦となり、私と妹を生活保護 を受けながら育ててくれました。私の母のことはこれぐらいにしておきましょう。本日、 この後でこの教会に関係した故人の方々のお名前を読み上げさせていただき、その方々の 地上の日々に思いを馳せたいと思いますが、その方々の労苦は、この地上で充分に報いら れたでしょうか。それは、あるいは充分とは思えないかもしれません。まるで労苦するだ けのためにこのように生まれてきたと思えるような方おられるかもしれません。実は、私 は私の母のことを思うと、そのように思えてならないのです。しかし、正に本日のテキス トのコリントの信徒への手紙一 第 15 章 50 節から55節までは、これら全ての故人に充 分な報酬が与えられると宣言しています。それは「復活」という報酬です。そして、パウ ロのこの言葉は、今ここに生きている私たちにも、復活という人生の実りを約束してくれ ています。私たち全員の人生は、間違いなく復活という実りに達するのです。そういう意 味で、クリスチャンの人生は実ります。

私は、この教会にかかわられた方々の中でこれまでにお亡くなりになった方々のことを 思う時、第二次世界大戦以後の日本人の実りをも思わされます。あのぼろぼろだった状態 から、その方々の中の少なからざる方々は立ち上がり、労苦の日々を生き抜かれました。 その労苦は、そのお子さん、お孫さん、そしてひ孫さんへと実ってまいりました。今この 場に、その方々かかわる方々が集っておられるのを見ると、そのような意味でも、なくな られた方々の人生は充分に実っていると思わされます。しかし、よしんばそのような実り が見えなくても、パウロは本当の実りを教えてくれていたのです。それが、繰り返しにな りますが、復活という実りです。この復活という実りを思えばこそ、私たちは亡くなられ た方々と平安のうちに向かい合うことができます。また、この場の私たち自身も、日々の 労苦を希望をもって担うことができます。

最後に、もう一度、強調しておきます。「主に結ばれているならば自分たちの労苦が決 して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです」と言われた際の、私たち が「知っているはず」のこととは、人生は復活へと実り行くということに他なりません。 クリスチャンにとって何が幸いと言って、イエス・キリストが身をもって示してくださっ た「復活の恵み」を知る以上の幸いはございません。

 

 

祈り 神様、本日この永眠者記念礼拝において、故人と共に復活の恵みに思いをはせるこ とができまして感謝致します。この祈り、我らの主イエス・キリストの御名によって御前 におささげ致します。アーメン。

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20111120日  西福岡教会礼拝     中川憲次

 


  説教題:   「霊の体」

 


聖書:コリントの信徒への手紙一 1542節-49

「死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、(43)蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。(44)つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです。(45)「最初の人アダムは命のある生き物となった」と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです。(46)最初に霊の体があったのではありません。自然の命の体があり、次いで霊の体があるのです。(47)最初の人は土ででき、地に属する者であり、第二の人は天に属する者です。(48)土からできた者たちはすべて、土からできたその人に等しく、天に属する者たちはすべて、天に属するその人に等しいのです。(49)わたしたちは、土からできたその人の似姿となっているように、天に属するその人の似姿にもなるのです。」

 

 

 20世紀初頭に活躍したアメリカの哲学者ウイリアム・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』という書物については、918日の「損知らず」と題した説教でも取り上げましたが、今日も取り上げさせてください。その書物の中でウイリアム・ジェイムズがトルストイの回心についての言葉を引用している部分があります。それを、まず今日は引用させてください。こうです。

 「私は記憶しているが。早春のある日、私は森のなかにただ独りでいて、そのふしぎな物音に耳を傾けていた.私は耳をすました、すると、私の思いはこの三年の間つねに私が没項していたことに - 神の問題に、戻って行った.だが、神の観念、と私は言った、この観念に、私はいったいどうして達したのか?と」

 「そしてこの思いとともに、私の心のなかに、またもや生きようとの嬉しい熱望が起こってきた.私のなかのすべてのものが目を覚まし、それぞれなんらかの意味をもってきた・:・:,私の内のある声が、なぜ私は遠くばかり眺めるのか?と尋ねた。あのお方は、その方なしには人間が生きられないあのお方は、ここにおられるのだ。神を認めることと生きることとは、同一のことなのだ。神は生命なのだ.そうなら、さあ! 生きよ、禅を求めよ、神なしには生命はないであろう。……このことがあってから、私の内部でも私の周囲でも、いままでになかったほど万事がうまくはかどつた。そしてその光明がまったく消え去るようなことはなくなった.私は自殺から救われた.この変化がどんなふうに、いつ起こったか、私は語ることができない。しかし、気づかないうちに、徐々に、私の生きる力がなくなって行って、私が精神的な死の床についてしまったのと同じように、だんだんと、気のつかないうちに、生命のエネルギーが戻ってきた」。

 私は自分が洗礼に導かれた日のことを思い出します。きっと御教会でも以前に証のような説教をさせていただいたことがありますが、もう一度語ることをお許し下さい。

 私は二〇歳の頃、惨めな日々を送っていました。もちろん今も、何を着ても似合わない惨めな私ですが、あの頃は毎日洗い晒しの仕事着を着て、米屋でぬかにまみれて働いていました。そして、母子家庭の貧しい日々を呪っていました。多くの友達が親の援助で大学に進み、楽しく学び遊んでいる姿を横目に見て鬱々とした日々を過ごしていました。給料日は、その給料の余りの少なさに、俺の値打ちは、たったこれだけか、と情けない思いをする日でした。きっと私の顔はすさみきっていたことでしょう。そんな私に、「教会へ行ってみませんか」と声をかけてくれたのは、その米屋にやはり勤めておられた事務員さんでした。私はそのようにして、キリスト教の教会に導かれました。そこは大阪の場末の小さな伝道所でした。信徒も6,7人で、ほとんどお年寄りでした。その教会で、私は正に本日の聖書箇所の46節にあるような体験をさせていただきました。その教会の人々の温かく迎えてくださった雰囲気の中で、私は肉の体から霊の体に生まれ変わらせてもらいました。それまでは肉の眼で世間を見て、世を呪っていた私でしたが、教会の人々のやさしさにふれ、やさしく私を愛してくださるイエス・キリストに出会い、心の目で物事を見ることができるようになりました。なぜか。その教会に、私の居場所があったからです。世間の奴らは、自分の家族だけが大事で、いい家に生まれなかったら、人生は惨めだ。そう思い込んでいた私にとって、教会は意外なところでした。教会の人々は何処の馬の骨とも分からないみすぼらしい格好の私を、馬鹿にすることなく、やさしく受け容れてくれたのです。それは、家族が全てだと思い込んでいた私にとって、驚きでした。驚くと同時に、私のかたくなになりきっていた心は解きほぐされました。あの時、私には、これまでの肉の目に加えて、あるいは代わって、霊の目が与えられたのだと言えるでしょう。私は、まもなく、牧師に頼んで洗礼を授けていただきました。牧師夫人は「まだ早すぎる」と仰っていました。しかし、今年で42年目になりますが、私はその後、あろうことか伝道者の働きに導かれ、神様に生かされて感謝しております。受洗当時に話を戻しますと、もちろん、その後も決定的に俗っぽい私でしたが、少なくとも給料日が悲しく無くなりました。友達と比較して惨めな思いになることがなくなりました。今まで何気なく生きてきた何の変哲も無い町が、新しい様相を呈して私の前に立ち現れてきました。毎日出会うその辺のオッサン,オバハンが、すばらしいオッサン、オバハンに見えてきました。自分は素晴らしい町で素晴らしい人々と共に生きているのだと、心の底から喜びがこみ上げてきました。別に回りが変わったわけではなかったのに、私の心の目にはそのように映ったのです。私はたしかに生まれ変わったのです。

 霊の体に変えられた人の生活は、日々新たです。如何なる困難がその人を襲おうとも、その困難の直中で活き活きと生きることができます。素敵なあなたとは、正にそのような、生まれつきのあなたから、霊の体に生まれ変わり、日々新たに生きるあなたにほかなりません。そして、これは正に918日に引用した部分ですが、ウイリアム・ジェイムズは同じ『宗教的経験の諸相』という書物の中で、人間を「一度生まれ」型と「二度生まれ」型という二類型に区分していました。人間には生まれ変わる人と、生まれ変わらない人とがいるというのです。いくら宗教教育を施しても、生まれ変わらない人は生まれ変わりませんから、ジェイムズの言うことは一理ありそうです。そして、生まれ変わらない人は、人生に何の問題も観じていない場合が多いのではないでしょうか。しかし、私は思うのですが、人生に何の問題も感じない人など、結局いるはずがありませんから、イエス・キリストの福音は、いずれ人が苦悩の状態に陥ったとき、きっと働くに違いありません。その時、人は、トルストイのように、生まれ変わりを経験するに違いありません。人は皆、本日お読みしたコリントの信徒への手紙一 15章の43節にあるごとく、「蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです」。

 ですから、皆さん、教会は人々を暖かく大歓迎しなければならないのです。私たちは神様から全てを赦して頂いて、大歓迎して頂いているのですから、人を大歓迎したくないはずがないのです。この教会にも少しずつではありますが、新来会者が礼拝に出席されていることは、誠に喜ばしい限りです。新発会者が礼拝に出席して、心の安らぎを得られる様に、無牧の中でも教会員の皆で支えていく努力をお願いしたいと思います。世の中で居場所を失い、大歓迎されることのない人々が、この西福岡教会の近辺に沢山おられるに違いありません。イエス様がその方々を、どんなにものすごく大歓迎しておられるかを、この教会員全員で示させていただきたいものです。そして、イエス・キリストの大歓迎に出会うと、人はきっと生まれ変わるに違いありません。

 

 


祈り 神様、あなたが召し集めて下さいました御教会で、今日も恵まれて説教させていただきましたことを感謝致します。御教会のかけがえのない信徒の方々、求道者の方々の主にある交わりをこれからも祝福してくださいますようにお願い致します。この祈り、主イエス・キリストの御名によって御前にお捧げ致します。アーメン。

 

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20111127日 西福岡教会説教      中川憲次


 説教題:    「『今』という宝物」

 

 

 


聖書箇所: コリントの信徒への手紙一 55節―10節 

「ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。」

 今お読みしたのは、パウロという初期キリスト教の伝道者の言葉です。パウロは復活のキリストに出会う前は、クリスチャン達を迫害していました。その彼が、ダマスコという所に向かう途上で復活のイエス・キリストに出会ったために、イエス・キリストの福音をのべ伝える身となったのです。イエス・キリストの弟子はたくさんいました。そしてパウロは、その弟子たちの中で最も華々しい働きをした人といってよいでしょう。しかしイエス・キリストの福音の素晴らしさは、華々しい働きをしたかどうかにはかかっていません。それぞれが神から与えられた分に応じて働けばそれでよいのです。もちろんそのことをパウロはよく分かっていたからこそ、「神の恵みによって今日のわたしがあるのです」と言うことができたのでしょう。パウロは復活のイエス・キリストと出会ったあの時だけでなく、それから何年もたったこの時にも、自分が神の恵みによってのみ生かされているということを、よく知っていたのです。パウロはしみじみと自分の過去を振り返り、今更のごとく今の自分の有様を見て感謝しているのでしょう。このパウロの感慨は私の感慨でもあります。もちろん私はパウロのように華々しい働きはできていません。昨今はましになりましたが、大学の礼拝で私語が多かった時がありました。その頃、私はそのような大学の礼拝に出る度に、あの兵庫県の田舎の教会の人々が教会にとどまるようにと仰るのを振り切って福岡女学院に来たのは、こんな私語をするような態度の悪い人々と時を過ごすためではなかったはずだと思ったりする日々が続いておりました。私の宗教主事、すなわち牧師としての日々は情けないことになっておりました。しかし、そうであればこそ、そんな惨めな私を神が生かしてくださり、その場でなおも働かせ続けてくださっていることに感謝するほかありませんでした。私にとっても、正にあの日々のあの時々が、「神の恵みによって今日のわたしがあるのです」と告白すべき時々でした。

 ところで、「神の恵みによって今日のわたしがあるのです」と訳されている言葉は、英語では「by the grace of God I am what I am(=χριτι δ θεο εμι  εμι)」と訳されており、ギリシャ語の原文に忠実です。ですから、直訳風に訳しますと、「神の恵みによって私は、今あるところの私であるのです」とでもなるでしょうか。それにしても、ギリシャ語の原文にも、英訳にも「今」という言葉は直接には出てきません。しかし、過去でも未来でもない、今ここに自分が存在していることが神の恵みだと、私も告白せざるを得ません。

 ところで、かつてこんな話を聴きました。それは聖書を無料でいろいろの人々に配布しているギデオン協会の人が福岡女学院教会に来て話された時のことです。その人はギデオン協会の働きを語る中で、ある牧師の証しを紹介されたのですが、それはこういうものでした。その牧師は中学生か高校生の時、ギデオンの聖書が配られているのに出会いました。彼は聖書をもらいましたが、彼と一緒にいた友人は受け取らなかったそうです。そして、受け取った彼は牧師になり、受け取らなかった友人は殺人事件を犯して犯罪者となったというのです。それが、紹介された牧師の証しでした。まるで、ギデオン協会が配っている聖書を受け取らなかったから天罰が下ったとでも言いたげな口ぶりでした。私は、それは実に薄っぺらい人生の把握だと思いました。殺人犯は立派でなくて、牧師は立派でしょうか。イエス・キリストを信じたら絶対に殺人を犯さないと、誰が断言できるでしょうか。あのボンフェッファーは、ユダヤ人が虐殺され続ける極限状況において、ヒトラー暗殺も止むを得ないと考えたのでした。一体誰が、あの折のボンフェッファーを責めることができるでしょうか。

さて、そこで、イエス・キリストに出会って救われた人間は、イエス・キリストに出会わない人を残念な存在と断定すべきではありません。そして、イエス・キリストに出会って救われた人間の目は、イエス・キリストと出会っていない他者との比較して、素晴らしい自分の有様に向けられるべきではありません。過去の自分と現在の自分を比べて、今の自分は素晴らしいなどと悦に入っている場合でもありません。イエス・キリストに出会った人の目は、ただただ神の恵みに向けられるべきです。

 神様は何処にいらっしゃるのでしょうか。神様は、私たちの今の実感の中にいらっしゃいます。いや、今の実感そのものが神様だとも言えるのではないでしょうか。

 私たちの宝物はなんでしょうか。過去の業績でしょうか。それとも未来の希望でしょうか。確かに、今を実感できない時、私にとって、過去や未来が宝です。しかし、私たちは今ここで生かされて礼拝の場に存在しています。この私たちの今が私たちのかけがえのない宝物です。死ぬまで、この今という宝物が連続するのです。何というあり難いことでしょうか。あなたはあなたがいつか死ぬことを実感しておいででしょうか。そうであったら、今のあなたがここにこうして存在していることが、神の恵み以外の何ものでもないことを実感なさるに違いありません。

 最後に、本日のパウロの言葉をもう一度読んで終わります。

「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。」

 

 

 

祈り

 神様、私たちを今ここでこうして存在せしめてくださいますことを感謝致します。この祈り、主イエス・キリストの御名によって御前にお捧げ致します。

 

 

2011年11月27日 西福岡教会 礼拝説教 中川憲次 説教題「『今』という宝物
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201112月4日 西福岡教会説教     中川憲次

 


題: 「ゼルマ」

 

 


聖書箇所: コリントの信徒への手紙二 8章9節

あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。

 

 今日は教会暦ではもうアドヴェントの二週目です。私は、毎日がクリスマス、毎日がイースターと思っているので、教会暦にこだわりませんが、今日はアドヴェントを意識して説教致します。アドヴェントとは、元々ラテン語で「到来」を意味します。それはもちろん、イエス・キリストの到来です。現在多くの地域でクリスマスが祝われている1225日は、元はローマ帝国で冬至の頃に太陽神を祭るミトラ教の祝日でしたが、それが義の太陽なるイエス・キリストの誕生を祝う日となりました。「義の太陽」というのは旧約聖書マラキ書320節(新共同訳)に出てきます。こうです。「しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには義の太陽が昇る。その翼にはいやす力がある。あなたたちは牛舎の子牛のように躍り出て跳び回る。」。この様な働きを為し給う義の太陽なるイエス・キリストの誕生する1225日に向かって、アドヴェントは突進致します。

 ところで、「義の太陽なるイエス・キリスト」と言うと、思い出す歌があります。それは、昔、島倉千代子という歌手が歌った「涙の谷間に太陽を」という歌です。1番はこうです。

「流れる涙 あるかぎり/まだ悲しみに 耐えられる/あなたよ 心に燃えている/若いいのちを 信じよう/呼ぼうよ 呼ぼうよ 太陽を/涙の谷間に 太陽を」

 私としては、これこそ義の太陽なるイエス・キリストを迎えるアドヴェントの讃美歌として相応しい歌だと思っております。

 さて、では、イエス・キリストという義の太陽はどこに輝き給うのでしょうか。以下では、それを良く示してくれると思われる詩を読んでみたいと思います。

 岩波ジュニア新書というシリーズがあります。そのシリーズに『ゼルマの詩集』という本があります。ゼルマのフルネームは、ゼルマ・メーアハウム・アイジンガーと言います。彼女はかつてのルーマニア領、現在のウクライナ共和国のチェルノヴィツに1924815日に生まれました。当時のチェルノヴィツの人口は約14万人、その半数近くがユダヤ人でした。この町のユダヤ人はドイツ語を母国語としていました。ゼルマもユダヤ人でした。パウル・ツェランという、これもユダヤ人で、1970年にパリのセーヌ川に投身自殺した詩人もゼルマと同じチェルノヴィツの出身でした。彼はブレーメン文学賞という賞の受賞挨拶で、生まれ故郷チェルノヴィ津について、こう言っています。「そこには人間と書物が生きていた」。チェルノヴィツはそのような町であり、ゼルマはそのような文化的空気を吸って成長致しました。

 ゼルマは19426月、家族と共にミハイロウスカ強制労働修養所に連行されます。そこは、ナチスの親衛隊によって管理されていました。彼女はそこで、「恐怖と緊張、そして栄養障害で衰弱し発疹チフスにかかり死んでゆきます。18歳と4ヶ月でした。あのアンネ・フランクが死ぬより、二年以上前に死んでいます。彼女は死ぬ一年前に次のような詩を書いています。

   悲 劇

最も重いことは、自分を投げあたえること、

そして人間とは余計な存在であると知ること、

自分をすっかりあたえること、そして人が煙のように

無に帰してしまうと考えることである。

  〔注〕 赤鉛筆でつぎのように書き添えられている 終わりまで書く時間がなかった。

                  19411223日 174カ月

 

 彼女はその年の77日に、すでに次のような詩を書いてもいました。

         ポ エ ム

木々がやわらかな光を浴びている。

風にふるえ、どの木の葉もきらきらしている。

空は青く、絹のようにつやつやとして、

朝風からこぼれた一滴の露のよう。

(モミ)の木たちは優しい赤にとりかこまれ

風陛下(カゼヘイカ)におじぎしている。

ポプラたちのうしろでは、

微笑(ホホエン)んであいさつした子どもを

月が眺めている。

 

風に吹かれ、やぶがとても美しい

銀になったり、つややかな緑になったり、

淡いブロンドの髪に降り注ぐ月の光のようになったり、

ああ、今度はいまにも花咲くかのよう。

 

わたしは生きたい。

ごらん  生はこんなに鮮やかに輝いている。

生には美しい舞踏会がたくさん、たくさんある0

そして多くの唇が待ちうけ、笑い、きらきら輝き、

その喜びを告げている。

あの道をごらん。あの、のぼっていく勾配を

とても広く、明るく、まるでわたしを待ちうけているよう。

そしてわたしを、またあなたをつらぬいて流れる憧れが

どこか遠くでむせび泣き、バイオリンを奏でている.

風が呼びかけながら、森の中をそよそよと流れていく。

風は、生命の歌が聞こえるよ、とわたしに言う。

大気はそよとしてやさしく、冷たい。

遠くのポプラがくりかえし手をふっている。

 

わたしは生きたい。

わたしは笑い、重荷をふりはらいたい、

そして闘い、愛し、憎みたい、

そして両手で空をつかみたい、

そして自由になって、呼吸し、叫びたい。

わたしは死にたくない。いや!

 

いやだ。

生は赤い。

生はわたしのもの。

わたしのもの、そしてあなたのもの。

わたしのもの。

 

なぜ、大砲はうなるの?

なぜ、きらめく王冠のために

生命は死ぬの?

 

あそこに月が出ている。

月はある。

近くに。

すぐ近くくに。

わたしは待たねばならない。

何を?

山また山をなして、

彼らは死んでいく。

二度と起ち上がることがない。

ない、そして、ない。

わたしは生きたい。

同胞(キョウダイ)よ、あなたもまた。

吐く息が

わたしの、そしてあなたの口から

たちのぼる。

 

生は鮮やかに輝いている。

あなたはわたしを殺そうとする。

なぜ?

千の笛を吹きならし、

森は泣く。

 

月は青の中の明るい銀。

ポプラたちは灰色。

そして風がわたしに向かってごうごうと吹く。

道は明るい。

それから・・・・

それから彼らがやって来る、

そしてわたしの首を絞める。

わたしを、そして、あなたを

殺す。

生は赤い。

ざわめき、そして笑う。

あっという間に

わたしは

死んでいる。

 

ひとつの木の、ひとつの影が

月の彼方にさまよっていく。

影はほとんど目に見えない。

ひとつの木。

ひとつの

木。

ひとつの生命は

影を投げることができる―――

月の

彼方に。

 

ひとつの

生命。

山また山をなして、

彼らは死んでいく。

二度と起ち上がることがない。

ない、

そして、

ない。

 

194177日 1610カ月

 

 このような「助けを求める絶望的な叫び」を書き記していた彼女が、それから5ヶ月後、先程お読みした「悲劇」という詩を書くのです。「自分を投げあたえ」、「人間とは余計な存在であると知」り、「自分をすっかりあたえ」「煙のように無に帰してしまうと考えること」が「重い」というのは、彼女の苦しみを考える時、単なる思いつきで書かれた詩句ないことがわかります。「悲劇」という詩は未完の詩でした。この詩にゼルマが何を付け加えたかったのか、それは想像するしかありません。ゼルマは、「自分を投げ与える」という最も重いことに気付いて、それに「悲劇」という題をつけていますが、私には悲劇どころか幸福な結末だったと思えます。ゼルマの詩は、本日最初に読んだ聖書の言葉、コリントの信徒への手紙 二 8章9節の意味するところを、私たちによく説き明してくれます。

 ゼルマの詩を完成してくれるのはイエス・キリストです。イエス・キリストが、ゼルマの悲劇をハッピーエンドに変えてくださいます。「最も重いことは自分を投げ与えること」と言ったとき、ゼルマはイエス・キリストの恵みに正に与っています。「最も重いことは自分を投げ与えること」と言い得たとき、ゼルマは、最も不幸なようでいて、実は最も幸福な人でした。ゼルマは、「豊かであったのに、悩める人間のためにのために貧しくなられた」イエス・キリストの貧しさに与った人でした。そこにゼルマの富がありました。

 ここに、義の太陽なるイエス・キリストは輝いておられます。それは、徹底的な事自己放棄の貧しさ、絶望的な貧しさの輝きです。このイエス・キリストの貧しさの輝きに照らされる中で、私たちも「自分を投げ与える者」になる恵みに与りたいものです。この恵みとは、まことに今死んでもよいという幸福な恵みです。イエス・キリストを見つめ、イエス・キリストと語り合い、交わる生活の中で、私たちはきっとこの恵みに与ることが出来ます。私たちの日々も、実にゼルマの「悲劇」という詩のごとく、常に未完です。しかし、常にイエス・キリストがその未完の日々を完成に導き続けてくださいます。今日この時から、そのようなイエス・キリストの光の中を歩みたいものです。

 

祈り

 神様、このけち臭い生き方をしている私を「自分を投げ与えることが出来る」光の中へと導いてください。この祈り、主イエス・キリストの御名によって御前にお捧げ致します

 

 

2011年12月4日 西福岡教会 礼拝説教 中川憲次 説教題「ゼルマ」.pdf
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20111218日 西福岡教会説教        中川憲次



題:   「忍耐は実る」





聖書箇所: ローマの信徒への手紙51節-7

「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。私たちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。この希望は私たちを欺くことがありません。」

 本日の聖書の言葉は、「苦難をも誇り」とすると申します。「苦難をも」と言うのですから、普通は苦難以外のものを誇りとするのが当然だということが、前提されています。しかし、それはさておき、ここでは特別に苦難をも誇りとする、というのです。誰もが嫌がる苦難などというものを、喜んで誇りとする、などというのはまことにおかしなことです。それ故に、なぜ苦難を誇りとするのかの理由が次に語られます。それは何故かというと、「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」からだというのです。すなわち、苦難は希望に繋がるから、誇りとするに足るというのです。では、何故そうなるのかということを、少し分析的に見てみましょう。

 まず、苦難と訳された元のギリシャ語は、トリプシスという言葉です。トリプシスとは、もともとは圧迫するという意味を持っている言葉です。だから英語では、oppressionと訳されたりもします。上から押さえつける、すなわち圧迫するという意味です。苦難とはまさに私たちの上にのしかかってきて、私たちを押しつぶそうとするものです。そのような圧迫する苦難が忍耐を生むといいます。忍耐と訳されたギリシャ語は、ヒュポモネーです。このギリシャ語はもともと「下に留まる」という意味を持っています。ですから、苦難が私たちを押しつぶそうと襲い掛かってきたとき、私たちがその圧迫の下に留まって、その苦難を堂々と受け止めれば、苦難は忍耐を生み出したということになります。その圧迫の下に留まらずに逃げてしまえば、苦難は逃避を生み出したということになります。

 そして、私たちを押しつぶそうとして襲い掛かってくる苦難を堂々と受け止めると、練達が生み出されるといいます。練達と訳されたギリシャ語は、ドキメーです。ドキメーは英語ではexperienceと訳されたりchracterと訳されたりします。経験とか品性という意味でしょう。襲い掛かってくる苦難をしっかりと受け止めて耐え忍んだ人は、自ずからその品性が養われるというのでしょう。そして立派な品性が養われれば、私たちには希望があります。

 立派な品性が養われたかどうかは、何でわかるのでしょうか。それは、私たちの表現活動でわかります。すなわち、私たちがどのように話したり、歌ったり、描いたり、歩いたり、走ったり、しているかを見ればわかります。私たちを押しつぶそうとして襲い掛かってくる苦難を私たちがしっかり受け止めれば、私たちの表現は違ってくるはずです。そこに希望があります。

 そこで表現という英語を思い出していただきたいと思います。これから申すことは、文芸評論家の小林秀雄が何かの本で書いていたことです。表現を意味する英語はexpressionです。expressionという英語は、expressionに分けることができます。 exはエクステリアーなどという言葉からわかるように「何々から外へ」という感じの前綴りです。そして、pressionは圧迫を意味します。このように分析するとよくわかるのですが、イクスプレッションとは、表現を意味するのではありますが、その内実は実に深い意味を持っています。すなわち私たちが上から押しつぶそうとする力をまともに受け止めるとき、押しつぶされたグレープフルーツかジューッとジュースを出すように、私たちの中からにじみ出てくるもの、それが品性のある表現です。

 時々、年配の男の人や女の人が苦労話のコンクールをしているかのようなところに居合わすことがあります。それを聞いていると、この世の苦労はその場に全て集まってきたように思えるほどです。一人がある苦労話をすると、それを聞いていた別の人がもっとすごい苦労話をいたします。その話が終わるか終わらないうちに、その話のお尻を蹴飛ばすようにして、また別の一人がもっとものすごい苦労話をするのです。もはや、その場の人々は、人の話なんか聞いていません。次にしゃべることばかりを考えています。その様子を見ていると、とてもその場の人々が苦労を受け止めて品性を養った人には思えません。苦労話をトクトクとしている人などというものは、そのこと自体で、自分がいかにきちんと苦難の圧迫を受け止めていなかったかということを自ら証明しているようなものです。俗に言う、苦労が身についていない状態です。苦労が身についていない人の品性は卑しいのです。そんな人は、あらゆる表現活動において、お粗末極まりない人生を送ることになります。

 さて、私たちは物事が順調に進んで当然と思いがちです。そして、調子の良いときは、ニコニコと機嫌よく生きています。しかし、ひとたびうまく物事が進まなくなると、機嫌が悪くなります。そのような状況を人生の危機と言ってもよいでしょう。皆さんは危機に強いでしょうか。私は、危機に弱いと告白せざるを得ません。しかし実は、危機こそ、人生の正念場です。危機から逃げずに、その状況を堂々と受け止め続ければ、私たちの表現活動は実に意味の深いものなり、私たちの人生は希望に満ちたものになります。そのよう意味で、お互いに危機を喜び誇るようになりたいものです。

 ところで、今やこの西福岡教会そのものが苦難の直中にあります。私は今年の4月から御教会を応援させていただいております。本当に心が痛みます。しかし、この苦難の時、その苦しみを受け止めて、じっと耐え忍ぶなら、神様がそれにふさわしく報いてくださいます。私たちが望むのは神様に良しとされることだけです。

 私たちは悪魔に負けてはなりません。悪魔の業には一つの特徴があります。それはなんでしょうか。それは私たちを常に分裂させようとするということです。私たちが仲良く力を合わせようとしていると、悪魔はそれを分裂させようとします。ですから、その悪魔の業に負けずに、力を合わせましょう。私は、この苦難の時に、皆様がこうして力を合わせて礼拝を捧げ、礼拝後には力を合わせて食事を用意してみんなで楽しく愛餐の時を持っておられることを、心からうれしく思っています。

 皆様の今この時の忍耐は、きっと豊かに実ります。最後にイエス様の約束の言葉をお読みします.マルコによる福音書430節以下32節までに曰く、

「更に、イエスは言われた。『神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る』」

 つまむことさえ出来ないようなちっぽけなからし種が、「空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る」ほど大きく育つのです。今、この教会が置かれている状況はそのからし種のような状況です。この大変な状況の中にやがて来るであろう実りを見て、信じて、忍耐しましょう。



 

祈り 神様、私たちを押しつぶそうとして襲いかかってくる苦難から逃げ出すことのないように、その苦難を、このアドベントの時私たちに向って突進してくださっているイエス・キリストにあって堂々と受け止めることができるように私たちを導いてください。この祈り、主イエス・キリストの御名によってみ前におささげいたします。

アーメン。

 

2011年12月18日 西福岡教会 礼拝説教 中川憲次 説教題「忍耐は実る」.p
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20111225 西福岡教会クリスマス礼拝説教     中川憲次



題:     「クリスマス・プレゼント」  





聖書箇所   ルカによる福音書 2章11節

「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシヤである。」

 

 クリスマスはプレゼントを待ち望む時でもあります。クリスマス・プレゼントの起源についてはつまびらかにしませんが、東方の博士たちがお生まれになったばかりのイエス様を訪問したときに持ってきた贈り物あたりが起源でしょうか。それはともかく、プレゼントをする習慣というものは、それが打算に満ちていなければ素晴らしいものです。私の家は貧しかったので、お誕生日会やパーティーには行かないことにしていました。プレゼントを用意できないいからです。この習慣は恐ろしいもので、私は人にプレゼントすることを思いつかないけちな人間に育ちました。これは実に残念なことです。あの人に何をあげたら喜ぶだろうか、ということを考えたことがなく成人の日を迎えてしまったのです。人から何かをもらうことには慣れていますが、人に何かプレゼントするなどということは全く思いつかないのです。たとえ少ない予算であっても、それを工夫して、Aさんにはこれがよいだろうか、Bさんにはあれがよいだろうか等と考える、プレゼントの喜びをしがなかったことは実に残念なことでした。イエス・キリストを信じた日から、そのような喜ばしい文化に触れることが出来たのも新鮮でうれしいことでした。

 さて、しかし、私は本日申したいのはいわゆるサンタクロースが持ってきてくれるプレゼントのことでも、また500円以内で買ってくるように命じられるクリスマス会の交換プレゼントのことでもありません。そうではなくて、クリスマスに生まれ給うたイエス・キリストこそ、私たちの唯一のクリスマス・プレゼントだと申したいのです。ルカによる福音書 2章11節は言っています。

「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシヤである。」

クリスマスのありがたきプレゼントは、こうして与えられた救い主イエス・キリストしかありません。

 ここで私はマルティン・ルターが唱えていたという祝祷の一節を思い出します。曰く

「願わくは、我らが主にのみ喜びを見出すまで、主のみを見、主のみに聞くように」

キリスト教がイエス・キリストに集中するのは当然です。どうか、今日初めてここにお出でくださった方々も、このことをお覚えください。あなたがこのクリスマス・プレゼントであるイエス・キリストをお受け取り下さるなら、あなたの人生はこの上なく豊かなものとなるでしょう。どうか皆さん、本日この時、このプレゼントをあなたの心の直中にお受け取りください。プレゼントを頂いたら、すぐにお礼状を書くのが常識です。私などはいつも遅れ勝ちで、恩知らずなことです。それはともかく、イエス・キリストへのお礼状は、お祈りという仕方でイエス・キリストに直接お出しください。あて先は「神様」と最初に言ってくださるだけで結構です。

 

祈り

神様、素晴らしくもかけがえのないクリスマス・プレゼントであられるイエス・キリストを私たちにプレゼントしてくださり、有難うございました。あなたによって、この場にお集まりの全ての方々が今更の如く救われますようにお祈りいたします。この祈り、主イエス・キリストのみ名によって御前におささげ致します。アーメン

 

 

2011年12月25日 西福岡教会 礼拝説教 中川憲次 説教題「クリスマス・プレ
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