2011102日 西福岡教会 礼拝説教          中川憲次

説教題    「愛に生きる」





 

 

聖書箇所    ローマの信徒への手紙 9章1節 ― 5節 

「わたしはキリストに結ばれた者として真実を語り、偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって証ししていることですが、わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります。わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています。彼らはイスラエルの民です。神の子としての身分、栄光、契約、律法、礼拝、約束は彼らのものです。先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから出られたのです。キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン。」

 


 宮沢賢治は1926年に農学校の教師を辞め、「羅須地人協会」を設立しています。その理念に次のように言います。

「俺たちは皆農民である。随分忙しく仕事は辛い。もっと明るく生き生きと生活する道を見つけたい。われらは世界のまことの幸福を尋ねよう。世界が全体幸福にならない限り、個人の幸福はあり得ない」

 世界とは自分以外の人間が、自分も含めて形成しているものです。それは、隣人と共にあるものです。宮沢賢治は、その隣人が形成する「世界が全体幸福にならない限り、個人の幸福はあり得ない」と言うのです。

 私たちの最初で最後の戦いは、己がエゴイズムとの戦いでしょう。それは己を捨てて隣人の幸福を思うことです。

 では。幸福とは何でしょうか。食べられない人が食べられるようになることです。では、食べられれば幸福か。

 パウロは、人間の一番深いところにある幸福、幸福の深部について語っているように思います。人がキリストに救われるように祈ること、これは幸福のもっとも深いところに隣人が到達することを祈ることでしょう。

 パウロは「兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています」と言っています。もし、私たちがイエス・キリストを信じるが故に救われているのなら、イエス・キリストを信じていない私たちの周りに住んでいる人々は救われていません。その人々が救われない限り、宮沢賢治の言う「世界が全体幸福にならない限り、個人の幸福はあり得ない」という言葉は私たちに働きかけてきます。

 そして、パウロの未だ救われていない周りの人々に対する愛の深さは凄まじいものがあります。それは、まことにコリントの信徒への手紙一の1313節で、 「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」と言ってのけたパウロにふさわしい言葉です。パウロは、信仰よりも愛を重視しています。信仰者の救いとはキリストに結ばれ、神に守られていることではありませんか。「キリストから離され、神から見捨てられた者となっ」てしまったら、元も子もないではありませんか。しかし、ここに凄まじい逆説があります。パウロの信仰とは、愛そのものになりきる信仰でした。愛のために信仰さえも捨てる、そのような逆説的信仰でした。

 私たちがパウロのような気持ちになって、家族をはじめ、自分の周りの未だイエス・キリストに救われていない人々の救いを祈り願うことができるかどうかは、イエス・キリストの救いを私たち自身が本当に信じているかどうかにかかっています。本当に救われねばならないのなら、捨てては置けないはずです。どちらでもよければ、「家族伝道は難しい」などと暢気なことを言っていられます。

 私に洗礼を授けてくださった牧師は、「牧師は一代」と言うのが口癖でした。ご子息は30歳を超えておられましたが、礼拝に出てこられませんでした。それは私がまだ二十代の頃でした。「何を言うとるんじゃ。自己弁護するな」と私は思っていましたが、私自身が牧師になった今、私の3人の子どもたちの全員が教会に行っているわけではありません。私は、だからといって「牧師は一代」などというつもりはありません。私がイエス・キリストに救われたように、子どもたちにもイエス・キリストの救いに与かってほしいのです。

 子どもたちだけではありません。私が日常的に接している福岡女学院の教職員についても同じことです。福岡女学院の事務職員は毎朝、830分から10分間程度の礼拝を守っています。それは全員で讃美歌を歌い担当者が聖書を朗読し、祈ったり奨励をしたりするのです。その担当は、クリスチャンであるとないとにかかわらず順番に回ってきます。クリスチャンでない場合でも、ほとんどの人がどこかの書物に書かれてある祈りなどを抜き出してきて読んだりしています。しかし、どうしても祈りたくない人もいます。その場合は、宗教主事に祈りや奨励を依頼してきます。中には、宗教主事に依頼することもせず、かといってイエス・キリストの御名によって祈ることもせず、黙祷ですます人もいます。それは、キリスト教に対する明らかな抵抗です。彼は、自分の信念を守っているのです。これは、教員でも同じことで、一切チャペルに足を運ばない人もいます。これらの人々に対して、福岡女学院に勤めている以上キリスト教に協力してもらわねばならないと命令するのはたやすいことです。事実、歴代の理事長の中には新任職員オリエンテーションの席で、「福岡女学院に勤めた以上はキリスト教を積極的に学んでほしい。その気持ちのない人は、今この場で福岡女学院に勤めることをやめて帰っていただきたい」とまでおっしゃった方もおられます。その理事長の気持ちは痛いほどわかります。しかし、そのように命令して、力づくで信仰を強要する態度は、本日の聖書の箇所で示されたパウロの態度とはかけ離れております。

 パウロは、信仰的に確信を持った人でした。だから、本日取り上げた箇所のすぐ前では次のように言っていました。まず、ローマの信徒への手紙 835節です。

「誰が、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。」

 次にローマの信徒への手紙 839節です。

「高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」

 それなのに、いやそうであればこそ、自分の周りにいる愛する人々がその救いの喜びに与かっていないことを思うにつけても、パウロはどうしようもない「深い悲しみ」や「絶え間ない心の痛み」を感じたのでしょう。パウロもまた、宮沢賢治の「世界が全体幸福にならない限り、個人の幸福はあり得ない」という思いを強く持っていた人でした。だから自分一人だけが救われていても、彼の心は痛んだのでしょう。

 昔、教会に行こうとしない私の息子に向かって、教会学校のある先生が「親不孝者」と言ってくださったそうです。その方のお気持ちは、宗教主事である中川の息子が教会学校にも行かないでは、中川の立場がなくなるではないか、そのような立場にお父さんを追いやる息子は親不孝者だというのでしょう。私は息子に言っておきました。「お父さんの立場などはどうでもよい。お父さんを人生の絶望の淵から救い出してくださったイエス・キリストというお方とお前が本気で交わる時が来るように祈っている」と。

 何が悲しいと言うて、救われていない人がこの世の中に存在するほど悲しいことはありません。それこそが、この場にいる私たちの課題です。では、その課題を果たすために、私たちたちはどうしたらよいのでしょうか。それは、隣人のために、隣人が必要とすることを為すことでしょう。自分のことを後にして、隣人のことを先にすることでしょう。

 ここで、ある人のことを思い出しました。私はその人の記念碑に函館で出会いました。1999年に函館で学会があって、その折に見たのです。その人は約60年前に函館を去ったカナダ人伝道師ウィリアム・レニーさんです。旧制函館中学校(現函館中部高)や函館商業学校(現函館商業高)などで英語教師として勤務したカナダ人伝道師ウィリアム・レ ニーさん(一八六六-一九五一年)は一九○六年(明治三十九年)、函館に来まして、英語教師として教壇に立ちました。レニーさんは、宣教活動のほか、地域の貧しい人たちの救済にも積極的に かかわったといいます。しかし、太平洋戦争直前の1941年、スパイの嫌疑をかけられて帰国なさいました。旧制函館中時代のレニーさんの教え子である高野武久さん(今生きておられれば101歳)は「自ら の生活を省みず苦学生を援助をするなど、本当に尊敬できる人でした」と恩師を振り返っておられます。

 このレニーさんに出会われた人は他にもいます。菊池吉弥という牧師です。菊池牧師は若い頃、函館教会の祈祷会に出席していたレニーさんに出会われました。菊池牧師が出会ったレニー宣教師は、先ほども申したごとく、当時「貧民窟」と言われた所に住み、伝道所を開いていたといいます。片言の日本語で、伝道は一向に成果があがらなかったそうです。見かねた人が「英語を教えられたら」と忠告しましたが、はじめのうちは「私は英語を教えるために日本に来たのではありません。キリスト教を伝道するために来たのです」と答え、伝道者の姿勢を崩さなかったといいます。そして、驚くべきことに、帰国するまで、一人の受洗者も与えられなかったそうです。しかし、時を経て強い感化を受けた菊池さんは、やがて伝道者の道に献身したのです。

 レニーさんは、まさに「わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります」というパウロの心を心として、函館の人々を同胞のように愛して、自分のことを後回しにして、苦学生を助け、貧しい人々を助けたのです。そして、彼は、一人の受洗者も与えられなかったけれども、倦まず弛まず、ただただ愛の動機から函館の人々に接し続けられたのです。 

 私たちも、パウロのような、そしてレニーさんのような愛に生かされたいものです。ただただ、救われていない人々の救いだけを祈り、自分自身のものを一切求めず、回りの方々への愛に基づいて何事をも行いたいものです。神様がイエス・キリストによって私たちに示された愛の大きさを、心の底から感謝しているなら、自ずからそのような生き方へと私たちは押し出されるに違いありません。伝道と称して、救われていない人を問題視したり、あるいは哀れんだりして、救ってやろうなどと考えるとしたら、それは愛に基づいた伝道ではないでしょう。それでは、「信仰と希望と愛、そのうちでもっとも大いなるものは信仰である」などということになります。

 最後に、もう一度パウロの言葉のすごさを強調したいと思います。パウロは自分が「キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています」と言っていました。彼は神の救いさえも、自分のものとすることを放棄しています。エゴイズムの中で、最後に残るエゴイズムは、信仰や愛に関わるエゴイズムです。これが、宗教の世界にも争いを生み出したりいたします。信仰や愛をしっかりと持っている人間ほど性質(たち)の悪いものはないのかもしれません。愛を持つと、愛もまた私たちの所有物となり、そこではなお私たちのエゴイズムが活躍する余地があります。私たちは、愛を持つのでなく、愛になりきりたいものです。それこそが、愛に生きるということであり、そのとき私たちは本当に自由になるでしょう。

 

 祈り 神様、私たちを愛そのものへと変え続けてください。

この祈り、主イエス・キリストのみ名によってお捧げいたします。

2011年10月2日 西福岡教会 礼拝説教 中川憲次 説教題「愛に生きる」.pd
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20111016日(日) 西福岡教会礼拝説教   中川憲次

説教題:「逃げ腰でなく」







聖書箇所:ローマの信徒への手紙126節―8

「わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。また、教える人は教えに、勧める人は勧めに精を出しなさい。施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい。」







 今お読みしたところで、「賜物」という言葉が出てきました。この言葉はギリシャ語ではχαρισμα(カリスマ)という言葉です。そして、英語ではgiftsです。すなわち、神様が私たちに与えてくださった恵の贈り物を賜物というのです。カリスマというと、ひところはやったカリスマ美容師が有名です。皆さんは多分カリスマ美容師に髪の毛をカットしてもらっていることでしょう。私もカリスマ美容師に髪の毛をカットしてもらいたいのですが、根が貧乏性なものですから、1000円ぐらいの料金の散髪屋に行っています。そのような散髪屋のカットの仕方は、大体はさみをまっすぐ横に入れてきます。私の伸びた髪の毛をぐっと鷲づかみにして、横一文字にばっさり切ります。その結果は、なかなか格好よくはなりません。もちろん私の顔も頭も髪の毛も素材が悪いのですから贅沢は言えません。その点皆さんの髪の毛を見ていると、カリスマ美容師にきってもらっているのが良く分かります。カリスマ美容師の特徴は、はすかいにはさみを入れるところではないでしょうか。もしくは、斜めにはさみを入れているように思います。あのカリスマ美容師たちは、学校の成績はどうだったか知りませんが、ある時、神様が彼らに下さった髪の毛を切るセンスに気づいたのでしょう。髪型に対するセンス、髪の毛の切り方のセンス、それらの全てにおいて自分に与えられた神の賜物に気づいたのでしょう。

 ことは美容師に限りません。あの野球のイチロー選手は、野球の選手として、神様が自分に下さったプレーをするセンスに気づいたのでしょう。その他、例を挙げればいりがありません。

 それでは、カリスマに気づいた人の特徴は何でしょうか。それは、いただいたそのカリスマ、すなわち神様の恵みの贈り物を十分に生かそうと前向きに生きていることです。カリスマ美容師の仕事ぶりは生き生きとしていて、お金のためにいやいや働いているようには決して見えません。人の髪の毛を切ることは、また髪形を整えることがうれしくてたまらないように見えます。イチロー選手は、いやいや野球をやっているようには見えません。もちろんスランプが訪れたりして、厳しい状況の中で、険しい表情のときもありますが、あくまでも前向きに、ひたむきにプレーをしています。そして、あのようにプレーし続けうる人は幸せでしょう。

 あなたのカリスマは何でしょうか。神様はあなたにどんな恵みの賜物を与えてくださっているのでしょうか。あなたはそれが何であるかに、もう気づいておられるでしょうか。もちろん誰もがカリスマ美容師になれるわけではありませんし、そんな必要はありません。誰もがイチローのように野球をする必要もないでしょう。ただ彼らのあり方は、私たちの参考になります。私たちが、いやいやしぶしぶ何かをしているなら、それは神の与えてくださった恵みの賜物に気づいていない消極的な生き方です。そうです。自分に与えられた恵の贈り物に気づくなら、私たちの行き方は逃げ腰で無くなります。

 初めにお読みした聖書の箇所にあったように、人にはさまざまの生き方があります。ある人は人に奉仕をします。またある人は、人に教える仕事をします。またある人は、人に何をなすべきかを勧めます。またある人は施しをします。そして、指導する人もいれば、慈善を行う人もいます。それらは、それらのことを為す人が神に与えられた恵の贈り物に気づいて、それを十分に生かすとき、喜んで生き生きと行われます。もしそうでなければ、どんな仕事も、私たちは逃げ腰で行うことでしょう。逃げ腰の人生は不幸です。

 斯く言う私も、神様が私に与えてくださった恵みの贈り物、すなわち賜物とは何だろう、私のカリスマとはなんだろうかと考えて見ました。学校で教えることは私のカリスマだろうか。教会で説教することは私に与えられたカリスマだろうか。そして、正直言って、何がなんだか分からなくなりました。ただ、これだけは言えます。私が神様から与えてほしい賜物は、人を愛する愛です。私の出会う人を全て愛する愛です。それさえあるならば、出会う全ての人のためを思って、その人が喜んでくれるようにという姿勢で時々刻々行動できるでしょう。私は、そのためにこの全身全霊を全て使い果たすでしょう。その時、私の人生は完全に逃げ腰でなくなるでしょう。残念ながら、現在の私の日々は十分逃げ腰だと告白せざるを得ないのです。

この点において、思い出されるのは、いつかも取り上げた宮沢賢治です。宮沢賢治に次のような言葉があります。私はこの言葉を、学校の講義でもよく引用するのですが、ここでもまた引用させてください。「農民芸術概論綱要」と題された文章の序論で宮沢賢治曰く、

「……われらはいっしょにこれから何を論ずるか…… / おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい / もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい / われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった / 近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい / 世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

宮沢賢治のこの論法で行くなら、私たちは自分の賜物だけを活かして得々としていることはできません。周りの皆がそれぞれの賜物を活かして逃げ腰でない生活をするようになってこそ、私たちは自分の賜物を本当の意味で活かしたことになります。

ところで、最後にマタイによる福音書2514節以下30節までのタラントのたとえ話にも触れておきます。ご承知の通り、「旅に出かけ」て、やがて「かなり日がたってから」「帰ってき」た「主人」であるキリストが再臨される時までに、神から与えられた賜物を増やさねばならないというたとえ話です。こうです。

「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力の応じて、一人には5タラントン、一人には2タラントン、もう一人には1タラントンを預けて旅に出かけた。早速、5タラントンを預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに5タラントンをもうけた。同じように、2タラントンを預かった者も、ほかに2タラントンをもうけた。しかし1タラントンを預かった者は、出ていって穴を掘り、主人の金を隠しておいた。さてかなり日がたってから、僕たちの主人が帰ってきて、彼らと清算を始めた。まず5タラントンを預かった者が進み出て、ほかの5タラントンを差し出して言った。『御主人様、5タラントンをお預けになりましたが、ご覧ください。ほかに5タラントンをもうけました。』主人は言った。『忠実な僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人を一緒に喜んでくれ。』次に2タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、2タラントンをお預けになりましたが、ご覧ください。ほかに2タラントンをもうけました。』主人は言った。『忠実な僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人を一緒に喜んでくれ。』ところで1タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。ご覧ください。これがあなたのお金です。』主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰ってきたとき、利息付きで返してもらえたのに。さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、10タラントン持っている者に与えよ。だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。』」

本日の説教に即して申し上げるならば、私たちが「タラント」を活かして「もうける」ということは、自分の才能を活かすということに留まらず、自分の回りの人々全てがそれぞれの才能を活かして日々あらゆることに逃げ腰でないような生き方に進んで行くるように祈ることだということになるでしょう。祈ります。



祈り  神様、私たちに愛の賜物を与えてくださり、逃げ腰の人生から救い出してください。この祈り、主イエス・キリストのみ名によってみ前にお捧げいたします。アーメン。



2011年10月16日(日) 西福岡教会礼拝説教  中川憲次 説教題:「逃げ腰で
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20111023日 西福岡教会説教      中川憲次

説教題    「切磋琢磨」  







聖書箇所   ローマの信徒への手紙1514

「兄弟たち、あなた方自身は善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒めあうことができるとこの私は確信しています」

 

 かつて私は、この教会でも、「福音温泉」と題した説教させていただきました。実は、私はこの題の説教を、初めて仕えた兵庫県の小さな教会で初めてして以来、時々思い出したように、「福音温泉」という題の説教をしてまいりました。

 繰り返しになるかもしれませんが、「福音温泉」という題の説教の内容を初めに申します。それは、初めて教会に飛び込んだ頃の私にとって、教会は風呂のようだったという話です。青年になった頃、私の心はがちがちの殻に閉じこめられていました。ああせねばならない、こうせねばならない、ああ、それなのに私は何という情けない有り様だろうと、焦っていたのです。私には心の風呂が必要でした。それが教会でした。教会は風呂みたいでした。もはや私は、そこで競争する必要はありませんでした。私は教会で何か難しいことを学んだから救われたのではありません。愛をもって接してくれる優しい人の心に触れて救われたのです。本当に教会は風呂でした。私は教会という風呂の湯船に、虚栄心や競争心という鎧甲やうわっぱり、そして下着まで全部脱ぎ捨てて、裸の心になってどっぷりつかったのです。

  まことに福音には分け隔てはありません。分け隔てがないこと自体が福音です。だからこそ、福音は人を生かします。私は、今。この教会こそは、福音という湯がこんこんと湧き出て溢れる風呂であって欲しいと願っています。「朝湯こんこんあふるる真ん中のわたくし」。自由律の俳人種田山頭火の句です。そんなぐあいに愛の湯がこんこんと湧いて溢れる教会でありたいものです。もし今、体も心も凝り固まって、頑なになって疲れはて青息気吐息で生きている人がいるなら、私達一人一人が福音温泉の愛の湯になって、その人を招き入れましょう。この福音温泉の湯は、つかりすぎてのぼせるということがありませんから、安心して人に勧めることができます。

概ね、以上のような内容の説教を、私はこれまで、あちらこちらの教会で、何度もしてまいりました。そして今も、教会が福音温泉であるという気持ちは変わりません。

 ただ、教会は福音温泉であると同時に、切磋琢磨の場であるということも確認したいと、本日は思います。そのために、初めにお読みいただいたローマの信徒への手紙1514節のパウロ先生の言葉は示唆深いものがございます。

「兄弟たち、あなた方自身は善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒めあうことができるとこの私は確信しています」

 このようにパウロ先生は仰っています。

ところで、あなたは自分を善人だとお思いでしょうか。世の中には自他共に許す善人というものが存在します。もちろん他人からは善人だという評価を受けられないけれども、自分では善人だと思っている人もいます。この善人ほど始末の悪いものはありません。なぜなら、善人は自分は善だと信じてやまないからです。善人は、自分のやっていることを善だと信じて、自分を疑うということがありません。そして、そういう善人こそ、困ったことをたくさんしでかすのです。最近もそういう善人の言葉が、ニュースで紹介されていました。その人の名は、宮崎勉といいます。もう43歳になったそうです。彼は、1988年から89年にかけて連続幼女誘拐殺人事件をおこしました。そして、殺人などの罪に問われ、17日に最高裁で死刑の判決を言い渡されました。彼は判決の出る前日に、臨床心理士との面会に応じていました。面会は東京拘置所で約20分間だったといいます。面会したのは東海女子大学教授で臨床心理士の長谷川博一さんです。宮崎勉は面会の終わりのほうで、長谷川教授の、「何か希望は」という言葉に対して次のように言ったそうです。

「(世の中に)伝えてほしい。私が優しいということを」。私はこのニュースを聞いて、ぞっとしました。宮崎勉の言葉は、私の言葉でもあったからです。私は、「自分は本当は優しいよい人間なんだ、周りのみんなは、もっと私を理解しなければならない」、と思いがちだからです。その意味で、私も、宮崎勉も、自称善人です。そして、そういう意味での善人ほど、この世の中で恐ろしいものはありません。あなたは、私の言っている意味がお分かりでしょうか。

さて、先程お読みした聖書の箇所は、私達が「善意に満ち、あらゆる知識で満たされ」ているなら、「互いに戒め合うことができる」と申します。「互いに戒め合う」とはお互いを正しあうことができるということです。そのためには「あらゆる知識で満たされ」る必要があるといわれているのですが、これは、万巻の書を紐解いて知識を増やさねばならないということではなく、イエス・キリストを知る知識のことです。イエス・キリストを知る知識に勝る知識はないからです。逆に言うなら、イエス・キリストを知る知識に比べれば、他のことを知ることなど、簡単なことです。

そして、最後に残るのが、「善意に満ち」ということです。善意に満ちていると、互いを正しあうことができるのです。では、善意に満ちた人とは、どんな人のことでしょうか。それは、初めに申した、単純な善人のことではないでしょう。ここで善意と訳されたギリシャ語の意味を探ってまいりますと、まず、「正しい」とか「心と生活の正しいこと」という意味があります。次に「心地よい」という意味があります。確かに人の「善意」は私たちの心に心地よいものです。しかし、その果てに、「有用な」とか「質のよい」とか、「勝れた」とか「立派な」とかいう意味が立ち現れてまいります。善意に満ちた人とは、単なる善人のことではなく、良質の、立派な、人の役に立つ人のことなのです。

今申したような意味における善意に満ちた人は、単なる善人のように「自分のやっていることを善だと信じて、自分を疑わない」というようなことはありません。自分の問題点を常に見つめます。自分を正義の味方と思い込んで、世の中の悪をあげつらい、糾弾するだけというようなことがありません。立派な善意に満ちた人は、世の中の悪を、自分の中に見ようといたします。世の中が悪ければ、自分が悪いのだと、善意に満ちた良質な人は考えます。そのような立派な人は、他者を問題視する前に自分を問題視いたします。そして、そのような良質な、立派な、善意に満ちた人々の交わりにおいては、「互いに正しあう」ということが出てきます。互いを高めあうことができるのです。ここから、私は「切磋琢磨」という言葉を思い出しました。切磋琢磨という言葉は、元々は中国最古の詩集である『詩経』の「衛風(えいふう)・淇奥(きいく)」に出てくるそうですが、それがこれも中国の古典である『大學』の伝三に次のように引用されます。

 

詩云、瞻彼淇澳、菉竹猗猗。有斐君子、如切如磋、如琢如磨。瑟兮僩兮、赫兮喧兮。有斐君子、終不可諠兮。如切如磋者、道學也。如琢如磨者、自脩也。瑟兮僩兮者、恂慄也。赫兮喧兮者、威儀也。有斐君子、終不可諠兮者、道盛德至善、民之不能忘也。

 

まず読み下(くだ)します。

「詩に云う。『彼の淇澳(キイク)を瞻(ミ)れば、緑竹(リョクチク)猗猗(イイ)たり。有(げ)にも匪(あざや)かなる君子は。切(せっ)する如く磋(さ)する如く、琢(たく)する如く磨(ま)する如し。瑟(シツ)たり僴(カン)たり、赫(カク)たり喧(ケン)たり。有(げ)にも匪(あざや)かなる君子は 終(つい)に諠(ワズ)る可(ベ)からず』と。切(せっ)する如く磋(さ)する如しとは、学を道(イ)うなり。琢(たく)する如く磨(ま)する如しとは、自ら修むるなり。瑟(シツ)たり 僴(カン)たりとは、恂慄(シュンリツ)なり。赫(カク)たり喧(ケン)たりとは、威儀なり。有(げ)にも匪(あざや)かなる君子は 終(つい)に諠(ワズ)る可(ベ)からずとは、盛徳至善、民の忘る能わざるを道(い)うなり。」

 

 これを、現代語訳致しますと、だいたい次のようになります。

「詩経には次のような詩がある。『淇(き)の川の川岸には、緑の竹があおあおと茂っている。才能が輝いている君子は、切り出されて磨かれた象牙のごとく、原石から取り出され磨かれた玉石のごとく、優雅に、光り輝いている。才能が輝く君子のことは、忘れることができない』と。『切り出されて磨かれた象牙のごとく』というのは、道を学ぶということである。『原石から取り出され磨かれた玉石のごとく』というのは、自らを修めるということである。『優雅に』というのは、かしこまる気持ちを持っているということである。『光り輝く』というのは、自信を持っているということである。『才能が輝く君子のことは忘れることができない』というのは、徳があり善に至った人のことは、民衆は忘れることができないということである。」

 

「切する如く磋(さ)するが如く、琢(たく)する如く磨する如く」というのを、分解すると次のようになります。すなわち、「切」は、小刀や鋸(のこぎり)で骨や象牙を切り出すこと。「磋」は、その切り出した素材を鑢(やすり)や鉋(かんな)で削ったり研いだりすること。「琢」は、玉や石を槌や鑿(のみ)で打ち叩くこと。「磨」は、その打ちたたいた玉や石を、砂や小石ですり磨くこと、です。このような言葉を使って、『詩経』では、素晴らしい細工品に喩えて、紀元前8世紀に活躍した衛の武公という王様(西周から春秋時代)をたたえているのだそうです。そこから、切磋琢磨という言葉は、学問や精神・人格を磨くことを意味するようになったようです。

 

 ところで、同じ切磋琢磨という言葉が、孔子の論語に出てきます。『論語』學而篇第一の十五に曰く、

 

子貢曰、貧而無諂、富而無驕、何如。

子曰、何也。

未若貧而樂、富而好禮者也。

子貢曰、詩云、如切如磋、如琢如磨、其斯之謂與。

子曰、賜也、始可與言詩已矣、告諸往而知來者。

 

読み下すと、こうでしょうか。

 

しこう、いはく、まづしくしてへつらふことなく、とみておごることなきは、いかん。

し、のたまはく、か、なり。

いまだまづしくしてたのしみ、とみてれいをこのむものにはしかざるなり。

しこう、いはく、しにいふ、せっするごとく、さするごとく、たくするごとく、まするごとしとは、それこれをこれいふか。

し、のたまはく、しや、はじめてともにしをいふべきのみ、これにおうをつげてらいをしるものなり。

 

現代語訳すると、こうでしょうか。

 

子貢が言っていた。

貧しくてもねたまず、豊かであっても傲慢でない態度は誉められた態度でしょうか?

先生が答えた。いいねー。

しかし貧しい中で楽しみを見つけ、豊かであっても礼儀を好む態度には及ばないかな。

子貢がいう。

詩経に切磋琢磨と歌われていますが、それはちょうどこのことですね。

先生が言った。

うんうん子貢よ、それでこそ共に詩の話ができるね。

詩を聞いて、私の話のあとの事までわかるのだから。

 

 論語においては、切磋琢磨は、「どんな環境でも立派な態度をとることのできる立派な人間になること」というような意味に解されているようです。ここに至って、『詩経』や『大學』においては、素晴らしい細工品のように光り輝くことが讃えられていたのに比べて、なお一層、人間の内面のことに事柄が深めて捉えられているように思います。そして、そのような人間の心の態度については、これまたパウロ先生がフィリピの信徒への手紙の411節から13節で教えてくださっています。

口語訳では、次のようです。

 

わたしは乏しいから、こう言うのではない。わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ。わたしは貧に処する道を知っており。富におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」

 

新共同訳では次のようです。

 

「物欲しさにこう言っているのではありません。わたしは自分のおかれた境遇に満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処できる秘訣を授かっています。わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」

 

 私は、確かに教会は切磋琢磨の場だと思いますが、「どんな環境でも立派な態度をとることのできる立派な人間になること」を目指す場だという風に限定することはないと思います。そしてまた、修練すればそうなりうるとも思いません。その意味では、切磋琢磨という言葉を持ち出さなくてもよかったのかもしれません。実は私が切磋琢磨という言葉を、この説教において持ち出したのは、お米を研ぐ行為を念頭においてのことでした。米を研ぐとはいいます。この研ぐという字は、切磋琢磨の磨という字とワンセットで研磨という言葉になります。よく研いだ米は、磨かれて実に美しく光っています。私は昔、寿司屋で働いたことがあります。いわゆるアルバイトのようなものでして、もちろん寿司を握らせてなどもらえません。皿洗いと米を研ぐという仕事を与えていただきました。それで、よく研いだ米の美しさを少し知っているのです。    

さてそこで、私たちは福音温泉の湯であると同時に、教会という炊飯器の中の米粒でもあると思うのです。この米粒が教会の中で主イエス・キリストにあってよく擦(こす)りあわされて、どこまでもどこまでも、これでよいということなく、切磋琢磨されていくのだと思うのです。

教会は、主イエス・キリストにあってまことの善人にされた人々が互いに接しあって、ますますその人格に磨きがかかる場であるに違いありません。パウロ先生が、「兄弟たち、あなた方自身は善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒めあうことができるとこの私は確信しています」と仰っているのは、そういうことではないのでしょうか。福音温泉なる教会は、単にぬるま湯に浸かってふやけるところではなく、内的、外的に切磋琢磨される炊飯器でもあるのです。実に、福音温泉なる教会は、みんなで愛と善意の湯船にどっぷりつかって、それでいて互いに正しあい高めあうことのできるところでございます。お祈りいたします。





祈り 神様、私たち全てを今日また新たにあなたの前に裸になって、あなたの愛の懐に飛び込ませてください。この祈り、主イエス・キリストのみ名によってみ前にお捧げ致します。



2011年10月23日 西福岡教会説教 中川憲次 説教題「切磋琢磨」.pdf
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