20116.5() 西福岡教会 礼拝説教   中川憲次

 

 

           「心の底」 

 

 

 

 

聖書箇所:マタイによる福音書12章33-37節 (新約23頁)
「木が良ければその実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木の良し悪しは、その結ぶ実で分かる。蝮の子らよ、あなたたちは悪い人間であるのに、どうして良いことが言えようか。人の口からは、心にあふれていることが出て来るのである。善い人は、良いものを入れた倉から良いものを取り出し、悪い人は、悪いものを入れた倉から悪いものを取り出してくる。言っておくが、人は自分の話したつまらない言葉についてもすべて、裁きの日には責任を問われる。あなたは、自分の言葉によって義とされ、また、自分の言葉によって罪ある者とされる。」

 

 

 本日の聖書箇所で、私が中心だと思っているのは34節です。そして、このイエス・キリストの言葉は、私の胸の奥深くに鋭く突き刺さってまいります。
 かつて私は、自分ほど正しい人間はいないと思っていました。また、自分ほど優しい人間はいないと思っていました。自分が悪い人間だとか、自分が人に対して優しくない人間だなどとは、思ってみたこともありませんでした。むしろ、自分はこんなに良い人間なのに、人は自分のことを分かってくれない。何故、世間は私にこんなに冷たくするのだ、と不満を持っていました。ですから、私は教会に導かれても、イエス・キリストの言葉の中でも、自分に都合の良い言葉ばかり読んでいました。たとえば、ルカによる福音書620節の「あなた方貧しい人々は幸いだ」という言葉を読んで、文字通り貧しかった私は救われました。イエス・キリストも、そんな私を退けなさらず、温かく迎えてくださいました。すなわち、私が初めて通った教会の皆さんは、そんな私を暖かく迎えてくださったのです。
 しかし、そのように、あるがままの私を暖かく包み込んでくださったイエス・キリストが、たとえば本日、実に厳しい言葉を私に向かってお語りになるのです。私にはイエス・キリストが次のように言っておられるように聞こえます。
「中川よ、お前は悪い実を結ぶ悪い木ではないのか。お前の言葉はいつも実にくだらないが、お前の心は悪いものばかりで満ちているのではないのか」。
 昔、やくざ者から次のような言葉を聞いたことがあります。曰く、
「吐いたつばは飲めんぞ。」
 あまりきれいな言い回しではありませんが、人間は言葉一つで死ぬことがあると教えてくれた言葉でした。そんな言葉を聞いたりして、言葉は気をつけて語らねばならないということは思い知っているはずなのに、その後も言ってはならぬことをたくさん語ってまいりました。思わず口走った一言を、できることなら掴んで懐になおしたいと思ったことも、一度や二度ではございません。説教を語り、講義を語り、取り返しのつかない言葉を山ほど語ってまいりました。
 私はここで、マルティン・ルターの言葉を思い出します。それは、彼が食卓で語ったといわれる言葉です。ドイツ語ではティッシュ・レーデンと呼ばれる一群の言葉に入っている言葉です。英語では、テーブル・トークと呼ばれています。その中の「よい説教者」と後に題された言葉において、ルターは次のように言っております、
「よい説教者は、次のような性質や徳の持ち主でなければならない。第1に、間違わぬ教えが述べられること。第2に切れる頭を持つこと。」
3は後で申します。
「第4に、よい声を持つこと。第5に、記憶のよいこと。第6に、終了の仕方を心得ていなければならないこと。第7に、仕事を確実に熱心にすること。第8に、職務に生死、富と名誉をかけること。第9に誰からも迫害され、あざけられること。」
どれもこれも難しい言葉ばかりで、これでは一体誰が牧師になれるだろうかと思うほどです。私自身、第1の「間違わぬ教え」を述べているかどうか、自信はありません。第2の、切れる頭についても、外面的にも内面的にも自信ございません。第4の「良い声」については、全くだめでしょう。私は、政治家の鈴木宗男さんがしゃべっておられるのを聞くと、何と印象の悪い声だろうと思うのですが、実は私の声がそっくりなようです。これは、近親憎悪かもしれません。次に第5の「記憶力」ですが、これもだめです。しかし、この第5番目の条件については、たぶんルターは、説教原稿を説教壇で読むことを戒めているのだろうと思われます。テレヴィのニュースを読むアナウンサーでも、原稿を読んでいる様子を見せません。読まずに語りかけるようにしています。あのアナウンサーは、他の記者の書いた原稿を読まされているのですから、読んで当然なのに、そのように語りかかけるように読んでいるのです。その点、説教者は自分のオリジナルの原稿を語っているのです。もし自分の真実の言葉なら、チラッと原稿を見ただけで、ほとんど会衆のほうを見て、アイコンタクトを取りながら、語れるはずです。第6番目の「終了の仕方」もまた、重要でしょう。終わりそうで終わらない説教の恐怖を知らない信徒は幸せです。私はここで、八木重吉の詩を思い出します。たとえば「飯」という詩があります。こうです。
「この飯が無ければこの飯を欲しいとだけ思ひつめるだらう」
どうして、八木重吉は、この詩をこのように言い終えることができたのだろう。私だったら、きっとこの後に何か付け加えずにはいられないのに、と私は思ってしまうのです。説教の「終了の仕方を心得ていな」い説教者は、たとえば八木重吉に学ばねばならないのかもしれません。
7、第8、第9の条件についてはコメントを省略いたします。
さてそこで、私がここでルターの卓上講話の言葉を引用した目的である、第3の条件をご紹介いたします。ルター曰く。
「適当に雄弁であること」
 ルターが雄弁であったであろうことは、想像に難くありません。そのルターが「雄弁」という言葉に「適当に」という制限を加えていることは、私には実に重要なことに思えます。私はこの言葉から、ルターの自分の雄弁さに対する問題意識の深さを感じ取ります。ルターの説教はそのドイツ語原典の全集に数多く収録されています。残念ながら、日本語に翻訳されたものはまだ数少のうございます。そして、そのほんの少しを垣間見ただけでも分かることがあります。すなわち、ルターの説教には下世話な言い回しが多く登場するのです。他者を罵倒する言葉も、それ故に迫力があることも事実です。しかし、それ故にこそ、ルターは自分の多弁さを反省することが多かったのではないかと思われます。ただ、実は私は、思わず言ってはならないことを言ってしまっているルターの説教が大好きではあるのですが、やはり、反省しなければならない点があるということに同意いたします。
 では、どうすればよいのでしょうか。口を慎めばいいのでしょうか。そうではないでしょう。言わないようにしていても、心の中で思っていたらもっと恐ろしいでしょう。作家田辺聖子の川柳に次の様なものがありました。
 
「そんなことないとお腹の中で言い

 話していても、本心を言わずにお腹の中で「そんなことない」と言われるほど恐ろしいことはありません。そうは申しましても、さすがに夫婦は本音を言うことがあるものです。結婚して、私の寝言を聞いた妻は申しました。
「あなたは寝言が清められねばなりません」
 起きている時はうまいこと言っていても、寝たら本音が出るのです。多分私は寝言で、「あの餓鬼、しばいたろうか」などと言っていたではないかと思うと、ぞっといたしました。その後も私の心は清められていません。開き直るわけには行きませんが、それは事実です。私は悪い実のなる悪い木だと告白せざるを得ません。良い実とは何でしょうか。それは、愛の行為でしょう。私は、しゃべりすぎるほどに説教や講義を語りながら、たった一つの愛の行為ができない日々をすごしているのです。
 では愛の行為という実がならないのだから、とにかく黙っていればいいと、そういう問題でもないでしょう。そこで、「心の底」が徹底的に問題です。「心の底」と言うと石原裕次郎です。
「心の底までしびれるような、吐息が切ない囁きだから、
泪が思わず湧いてきて、泣きたくなるのさこの俺も。
東京で一つ。銀座で一つ。
若い二人が 初めて逢った、ほんとの恋の 物語」
 しかしこの歌の「心の底」とは、恋する人の「心の底」なのです。恋する人は、心の底までしびれたり、するものです。しかし、本日の説教を石原裕次郎で締めくくるわけにはまいりません。そこで、次のような歌を歌わざるを得ません。
ロード・アイ・ウォント・トゥ・ビー・ア・クリスチャン 

という「霊歌」です。
 ロード・アイ・ウォント・トゥ・ビー・ア・クリスチャン
 イン マイ ハート
 ロード・アイ・ウォント・トゥ・ビー・ア・クリスチャン
 イン マイ ハート   イン マイ ハート
 ロード・アイ・ウォント・トゥ・ビー・ア・クリスチャン
 イン マイ ハート
 心の底まで、清められて、愛の行為に生きるクリスチャンとしていただくには、もはや主イエス・キリストにすがるしかありません。 ただいまの歌を後で日本語で歌いましょう。

祈り
 神様、どうか私たちを、良い実のなる良い木にしてください。この祈り、主イエス・キリストのみ名によって御前にお捧げいたします。アーメン。

 

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2011612日 西福岡教会説教    中川憲次


       「新しい自分」 

 

 

 

 

 

聖書箇所:マルコによる福音書218―22節
2:18ヨハネの弟子たちとファリサイ派の人々は、断食していた。そこで、人々はイエスのところに来て言った。「ヨハネの弟子たちとファリサイ派の弟子たちは断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」 02:19イエスは言われた。「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか。花婿が一緒にいるかぎり、断食はできない。 02:20しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その日には、彼らは断食することになる。 02:21だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい布切れが古い服を引き裂き、破れはいっそうひどくなる。」

 


 本日はペンテコステです。それで、本日は改めて、私たち自身が今更のごとく新しくされるということについて考えてみたいと思います。 

ところで、私の説教は、歌入り観音経よろしく、演歌が入ります。それも一度や二度ならともかく、毎回となると飽きられます。福岡女学院に来た当初は聴衆に受けたのですが、此の頃は鼻についてきたようです。それでも、悲しい性(さが)か、思わず歌ってしまったりするのです。歌ばかりではありません。下品なギャグも入ります。恐ろしい言葉が、畳み掛けられたりも致します。
 ある人がこう仰いました。「先生の説教を聞いて笑っている人もいますが、中には困ったものだと思っている人もいますよ。私はそれを心配しています」。何という愛に満ちたお言葉でしょうか。
 ところで、「文は人なり」と申します。その伝でゆけば、「説教も人なり」です。私の説教には私の「人」が端的に出ているのです。私の説教が鼻につかれたとしたら、私という人間そのものが飽きられたということです。私の説教が「困ったものだ」と思われるということは、私という人間の存在そのものが「困ったものだ」と思われているということです。私の存在を否定する眼差しの直中に私は生きるということになります。
 そこで、私はこの新年最初の礼拝でこんな自分を新しくしてくれる聖書の言葉を選んだわけです。
 私は生き方を変えねばなりません。新しい革袋にならねばなりません。何故なら、今日、この時、イエス・キリストという新しい葡萄酒を、神様が私という革袋に注ぎ入れて下さるからです。私という革袋は、一新されなければ破れてしまいます。すなわち、私は一新されなければ死にます。私は変わらねばならないのです。変われるか変われないかなどと、悠長なことを言っている暇はないのです。私には、もはや選択肢はありません。変わらなければ、生ける屍となるだけです。だから、私は、「どうせ、こんな私だ」などと開き直ることなく、これまで未開拓の部分に挑みかからねばなりません。新しい芸風を、いや新しい生き方を求めて進まねばなりません。イエス・キリストは、きっと私を一新してくださいます。今申したことは、もちろんこの場の皆様方にも通じることではないでしょうか。
 さて、只今までのお話は、私の芸風をめぐってのお話でしたが、ここで、聖書の言葉をもう少しよく読んでみたいと思います。
 本日、お読みしたイエス様のお言葉は、断食という行為をめぐるイエス様とユダヤ教を信じる人々との論争物語の最後の言葉です。マルコによる福音書ではヨハネの弟子達とイエス様との論争となっています。
2:18ヨハネの弟子たちとファリサイ派の人々は、断食していた。そこで、人々はイエスのところに来て言った。「ヨハネの弟子たちとファリサイ派の弟子たちは断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」 02:19イエスは言われた。「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか。花婿が一緒にいるかぎり、断食はできない。 02:20しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その日には、彼らは断食することになる。 02:21だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい布切れが古い服を引き裂き、破れはいっそうひどくなる。」
 花婿とはイエス様のことです。220節は「しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その日には、彼らは断食することになる」と言います。「その日」、すなわちイエス様が殺された日には、そのイエス様の死を嘆き悲しんで断食するというのです。最愛の人を失ったとき、その人を愛していれば、人は悲しみのあまり食事が喉を通りません。必然的に断食状態になるのです。しかし、イエス様が復活されて、いつでも何処でも、信仰者と共に生きてくださることになれば、まさに「花婿が一緒にいる限り断食はできない」ということになるのです。だから、私達クリスチャンは、儀式としての断食をしていません。ただ、イエス様が断食の力を語られたことはあります。「しかし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行かない」というマタイによる福音書1721節ですが、これは、定本にはない言葉で、私達が使っている新共同訳聖書でも最後に一応というかたちで、付け加えられています。
 ですから、イエス様の断食という宗教儀式に対する態度は、否定的と言ってよいでしょう。特に本日の箇所では、それが際立っていました。
 イエス様は私達に新しい革袋を要求しておられます。イエス様の要求される新しい革袋と何か。それは、見せかけの断食をやめることです。もっと言えば、見せかけを重んじるような、格好ばかりつける生き方をやめることです。見せ掛けだけの親切、見せかけだけの優しさ、見せ掛けだけのボランティア、見せ掛けだけの勉強、見せ掛けだけの美しい家族、見せ掛けだけの仲のよい夫婦、見せ掛けだけの涙、見せ掛けだけの笑顔、見せかけだけの友情、見せ掛けだけの許し、見せ掛けだけの平和、見せ掛けだけの美しさ、見せ掛けだけの幸福、見せ掛けだけの信仰生活、そして何よりも「見せ掛けだけの一新」をやめること、それが私達の新らしい革袋です。
 見せ掛けの生き方とは、世間体や見栄を気にする生き方といってもよいのではないでしょうか。私達は世間体や見栄という縄目から自由でしょうか。五年程前の正月に「忠臣蔵~決断の時」というテレヴィ番組を観ました。私は兵庫県の小野市で牧師をしていましたから、播州赤穂浪士には親しみを感じはします。
 さて、浅野内匠頭の堪忍袋の緒が切れたのは、吉良上野介のいじめが原因です。江戸城の殿中で吉良上野介に斬りつけた浅野内匠頭はご法度を破ったことになります。しかし、ご法度では、喧嘩両成敗のはずが、浅野内匠頭だけが即日切腹ということになります。この理不尽な幕府の裁定が、赤穂浪士の討ち入りを正当化するようにも思えます。
 ただ私は、忠臣蔵の中心的問題は、かつてルース・ベネディクトが『菊と刀』という書物で指摘した「恥の文化」としての日本文化の問題だと思います。とにかく、やたらと世間体を気にするのです。江戸城内でどのように振舞えば恥ずかしくないかを吉良に尋ねざるを得なかった浅野の悲劇は、今尚、私達日本人の悲劇ではないでしょうか。
 最早私達は、神様の前で断食する必要はありません。イエス・キリストは昨日も今日もこれからも、私達一人一人と共におられます。飢え渇いている人がいれば、正にその人は断食的状況にいるわけですが、断食をしてその人の真似事をするよりも、その人の飢え渇きを癒すべく、手を差し伸べればよいのです。自分が少ししか食べ物を持っていなければ、そのような行為は必然的に自分を断食に導きます。即ち自分の食べるものを人にあげると、自分の食べるものがなくなります。このような本当の断食は、見せ掛けの断食とは比べ物にならない厳しいものです。

最近、私たちは東北大震災で飢えることになってしまった人々を見ました。その意味で、私たちは現実に本当の断食について考えざるを得ない状況におかれました。あの東北大震災という出来事が、私たちの見せ掛けだけの不誠実なものになりがちな生き方を一新するように、新しい自分になるように迫っています。祈ります。

 

祈り
神様、私達は見せ掛けの生活を改めたいと願います。どうか導いてください。この祈り、主イエス・キリストの皆によって御前におささげいたします。

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.2011年6月19日 西福岡教会説教     中川憲次

 

       「貧」

 

 

 

 

 

聖書箇所:タイによる福音書5章3節

「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」

 

 私が本日「貧」について皆さんとご一緒に考えてみたいと思ったのは東日本大震災の故です。あの地域には今、貧しさの極致に置かれている人達がたくさんおられます。キリスト教詩人八木重吉は次のような詩を残しています。『花と空と祈り』という詩集に収められている「飯」と題された詩です。こうです。

「この飯が無ければ/この飯を欲しいとだけ思ひつめるだらう」

今、東日本には「このパンを欲しいとだけ思いつめ」ている人々が沢山おられることでしょう。かつて私は貧乏な家に育ったと思っていました。しかしそれは間違いでした。今回の東日本大震災で全てを失った人々の状況を見ると分かります。実は、その状況を見る前にも私は自分の貧困など何ほどのものでもありはしないということを思い知らされる文章を読んだことがあります。それは、韓国人チョン・ティルさんのことを綴った文章です。

 ご存知の方もおられるでしょうが、全泰壱(チョン・テイル)さんは19701113日に焼身自殺による抵抗事件を起こした人物です。当時韓国は朴正煕大統領の頃で、韓国の民衆の苦しみは極限に達していました。このチョン・ティルさんの焼身自殺をきっかけに韓国の民主化闘争は激しさを増し、やがて1979年の朴大統領暗殺と全斗煥の独裁政治、そして1980の光州(カンジュ)事件へと繋がって行きます。

 全泰壱さんは1948年に大邱で生まれました。父は縫製工場の労働者、母は野菜の行商。生活が苦しくてソウルに出てきた彼の一家は、母がチゲックン〔背負子での荷運びを生業とする人々〕を相手に小豆粥・ビビンパプ・モチを売ったり、野菜の行商をして糊口をしのぎました。母が病に倒れると彼は小学校をやめて新聞売りを始めました。新聞を売った金で買い入れた空き瓶を洗って市場に持っていって売り、昼は靴磨き、夜は吸殻拾い、雨が降り出せば傘売り、彼はしなかった仕事がないくらいにありとあらゆる仕事をしたと言います。彼はそうやって得た金で母と3人の弟妹を養っていました。16歳になった1964年春、清渓川(チョンゲチョン)の平和市場の縫製工場にミシン士として入りました。1日14時間の労働で日当50ウォン。一緒に働く12歳くらいの女の子たちの大部分が黄色くむくんだ顔で、気管支炎・眼病・貧血・神経痛・胃腸病などを病んでいました。彼らは埃まみれの屋根裏部屋の作業場ですきっ腹を抱え、一筋の陽光も一日中見ることができず、あふれ出る眠気を抑えようと眠気覚ましの薬を飲みながら尖った針の先で自分の皮膚を突き刺しつづけていました。ある日、一緒に働いていたミシン士の女性が真っ赤な血をミシン台の上に吐き出しました。全泰壱さんが急いで金を集めて病院に連れていってみると肺病3期。平和市場の職業病のひとつでした。しかしその女工は解雇されてしまったといいます。全泰壱さんはその事件に大きな衝撃を受けます。その後、全泰壱さんはこの残忍な労動条件を自分の力で変えようと考えるようになりました。全泰壱さんは昼に時々仕事場で裁断師の友人を尋ね歩いて自分の考えを伝え、夜は『勤労基準法』をめくって勉強しました。1969年から全泰壱さんは裁断師を中心に「パボ(阿呆)の会」という懇親会を作って勤労基準法を勉強し、勤労条件を正す先頭に立ち始めました。全泰壱さんは清渓川(チョンゲチョン)一帯の工場の実態を調べて勤労基準法を守るようにしてくれとの請願書を労働庁に出したましが、返ってくるのは軽蔑と嘲笑に満ちたあしらいだけでした。しかし1970年に全泰壱さんは同僚たちと一緒に、請願や陳情の代わりにもっと積極的な闘争を展開しました。しかし結果は同じでした。そこで、全泰壱さんは労働庁前でデモをすることを計画しましたが、あらかじめ警察が配置されてデモはできませんでした。19701113日、全泰壱と同僚たちは清渓川(チョンゲチョン)の労働者たちの前で勤労基準法を火あぶりにすることにしました。午後1時30分頃、全泰壱さんは平和市場入口の路地で『勤労基準法』と自身の体に石油をかけて火をつけました。同僚たちが止める余裕もなく、火だるまになった全泰壱は道に飛び出しました。「勤労基準法を 守れ!われわれは機械ではない。日曜日は休ませろ!労働者を酷使するな!」。再び最後に叫びました。「私の死を無駄にするな!」。

 私には、あの東日本大震災の被災者の方々の姿に、焼身自殺したチョン・ティルさんの姿が重なって見えます。「貧」は幸いではありません。チョン・ティルさんは「貧」なる状態がなくなることを願って行動しましたし、東日本大震災の被災者の方々も今の「貧」なる状態から脱却することを願っておられるに違いありません。

 ところで、本日私はルカによる福音書620節以下のイエス・キリストのお言葉を今日のテキストには致しませんで、敢えてマタイによる福音書53節以下のお言葉に皆さんと一緒に耳を傾けようと思いました。ルカによる福音書620節ではイエス様は「貧しい人々は幸いである」と仰っています。しかし、このマタイによる福音書53節では「心の貧しい人々は、幸いである」と仰っています。このイエス・キリストのお言葉を、私たちは一体どう受け取ったらいいのでしょうか。心の貧しさとは何でしょうか。古来、説教者は、それを謙遜の意味に解釈してきました。謙遜な人は幸いだ、というのです。中世末期のドイツの説教者マイスター・エックハルトは、この「心の貧しさ」について、「一切の被造物を脱却して貧しく空であるならば、その魂は神にまで運ばれるのである」と言っています。エックハルトの真意はなかなか深くて、エックハルトその人に聴いてみなければ分からないのですが、今のところ私は、徹底した貧について言っているのだと思っています。では、徹底的な貧は幸いだと仰ったイエス・キリストの言葉を、私たちはどう受け取ればいいのでしょうか。イエス・キリストはどうしてこんなことを仰ったのでしょうか。

 そのヒントは、イエス・キリストの次のような言葉にあります。それはマタイによる福音書117節以下9節までで、イエス・キリストが洗礼者ヨハネについて語っておられる箇所です。曰く、

「ヨハネの弟子たちが帰ると、イエスは群衆にヨハネについて話し始められた。「(7)あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。(8)では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。しなやかな服を着た人なら王宮にいる。 9)では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ。言っておく。預言者以上の者である。」

 この箇所は深い意味を持った箇所ですが、ここでは「では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。しなやかな服を着た人なら王宮にいる」という言葉に着目したいと思います。この「しなやかな服」という言葉は元のギリシャ語では「μαλακός malakossoft)な「服φορέω phoreōthey that wear)」という言葉が使われています。マラコスとは「柔らかい」という意味で、しなやかなという翻訳は適当でしょう。柔らかい服とは、多分絹で作られた服かと思いますが麻布でできた服もそれにあたるかもしれません。なぜならルカによる福音書16章の「金持ちとラザロ」の物語には次のような言葉が出てくるからです。1619です。こうです。

「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。」

 このように「しなやかな」「やわらかい」服は、金持ちによる贅沢の象徴でした。そして、イエス・キリストはそんな贅沢な輩は「王宮にいる」と吐き捨てるように仰いました。貧しい村ナザレで成長されたイエス・キリストは、はるかにエルサレムを望んでそこに存在する贅沢に対して、そのような問題意識に満ちたまなざしを向けておられました。そのようなエルサレムの富の背景には、古代ローマ帝国の繁栄があったはずです。古代ローマには「パンとサーカス」という政策がありました。若山滋(しげる)という人が書かれた『ローマと長安』という書物の「パンとサーカス」と題された項にこうあります・

「一般市民、つまり平民は、初期の頃は、農業や商工業において普通に生産にはげんでいたのであるが、ローマが巨大化し、豊かになるにしたがって、その労働は奴隷が肩代わりするようになる。三世紀には一年のうちの半分以上が休日となって、有閑階級化した市民は時間をつぶす刺激を追い求めた。そして歴代の為政者たちは、市民の機嫌をとるため、穀物と見世物を無料で提供する『パンとサーカス』の政策をとるようになる。」

現代の日本でも同じような政策が受け入れられてきたようにも思えます。だからこそ、ここで徹底的な貧について語っているイエス・キリストの本日の言葉が重要です。貧しいナザレの村で多分10歳くらいからは母子家庭で育たれたイエス・キリストは、貧しいことの辛さ、苦しさを身にしみて知っておられたはずです。貧しいことは決して幸いではありません。しかし、神のみにより頼んで生かされるという最も幸いな道に導かれるという意味では、実に幸いなことです。この幸いに与っている人は決して「パンとサーカス」の政策に翻弄されるような愚民にはならないでしょう。

 さて、徹底的な貧について思いをめぐらせて参りましたが、最後に本日のイエス・キリストの言葉とよく響き合うイエス・キリストの言葉を引用したいと思います。マタイによる福音書625節以下

34節までです。

「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。 06:26空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。 06:27あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。 06:28なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。 06:29しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 06:30今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。 06:31だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。 06:32それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。 06:33何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。 06:34だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

 ここには徹底的な貧の道を行くようにとの促しがあります。おいしいものを食べようとか、しなやかな服を着ようとかいうやわな価値間に対する激しい一喝があります。徹底的な貧に徹するとは、私たちの人生の全てを神にお委ねすることなのではないでしょうか。

 

 

祈り 神様、私達が本当に身も心も貧しくなって、あなたご自身の豊かさにますます与ることができますように、導いてください。 そして、どうか今このとき、東日本大震災の被災者の方々を守っていてください。この祈り主イエス・キリストのみ名によってみ前にお捧げいたします。アーメン。

2011年6月19日西福岡教会「貧」最新.pdf
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2011.7.3 西福岡教会説教                                中川憲次

説教題:「陽を吸う」

 

聖書箇所:マタイによる福音書543節―48

543「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。

:44しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。

:45あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。:46自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。:47自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。 5:48だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」 

 

イエス・キリストは太陽に思いをはせよと言ってくださるのです。創造の神秘に思いをはせよと仰るのです。私は山頭火にならって、「陽を吸う」ところまで行きたいと思います。

 ここでイエス・キリストは「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じら

れている」と仰っています。しかし、イエス・キリストのお言葉ではございますが、さすがに聖

書のどこを見ても「敵を憎め」という言葉は出てきません。敵に対する憎しみについては、たとえば詩編139編の21節、22節にあります。こうです。

「主よ、あなたを憎む者をわたしも憎み / あなたに立ち向かう者を忌むべきものとし / 激しい憎しみをもって彼らを憎み / 彼らをわたしの敵とします。」

 しかし。「敵を憎め」という命令形はありません。ただ、ユダヤの隣人愛は結局のところ同胞

愛であって、隣人なるユダヤ人以外の敵は憎めといわれているのだとイエス・キリストがお考えになったということは考えられます。本日は、この前提で話を進めます。

 さて、イエス・キリストは敵を愛せと仰います。敵は愛せないから敵なのであって、愛せたら敵ではありません。ところで、敵という英語はenemyです。そのenemyの語源であるラテ

ン語はinimicusです。Inimicusinという前綴りと amicusという名詞でできた言葉で

す。そしてamicusという名詞は「友人」を意味します。この語源から考えると、敵とは友人でない人です。

では、人はどのようにして友人同士になるのでしょうか。それは自然に仲良くなるのでし

ょう。俗に馬が合うとか申します。「馬が合う」というのは、乗馬に由来する言葉だそうです。乗馬では馬と乗り手の息が合わなければ乗り手は落馬することになります。それで、馬と乗

り手の呼吸がぴったり合っていることを「馬が合う」といったのだそうです。こちらではそん

なに意識していなくても、相手の人が自分に反感を持っているのがわかることがよくあります。そのように気付いた場合、確かにこちらもその相手と馬が合わないことに気付きます。そ

の人は、とてもじゃないが友人にはならず、こうして私たちの前に敵が立ち現れてまいります。その敵を、イエス・キリストは愛せよ、と仰います。どうしたら、敵を愛すことができるのでしょうか。たしかに、乗馬の譬で行くなら、敵が敵のままでいるなら、私たちはこの人生で落馬して、大怪我をしたり、死んだりしてしまいます。だから、何とかして敵を愛さなければなりません。どうしたらいいのでしょうか。

そこで45節のイエス・キリストの言葉に注目したいと思います。こう仰っていました。

「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」

 私はこの言葉を読んで、太陽の存在に今更の如く気付かされます。敵を憎んでいるとき、私は天を見上げることなく、太陽の存在を忘れてしまっていました。アンパンマンのやなせ

たかしが作った歌にこういうのがあります。 「手のひらを太陽に」という歌です。 こうです。

 

1.ぼくらはみんな生きている 生きているから歌うんだ

  ぼくらはみんな生きている 生きているから悲しいんだ

  手のひらを太陽に すかしてみれば  

  まっかに流れる 僕の血潮

  ミミズだっておけらだって あめんぼだって

  みんなみんな 生きているんだ 友達なんだ  

        

2.ぼくらはみんな生きている 生きているから笑うんだ

  ぼくらはみんな生きている 生きているから嬉しいんだ

  手のひらを太陽に すかしてみれば  

  まっかに流れる 僕の血潮

  とんぼだってかえるだって  みつばちだって

  みんなみんな 生きているんだ 友達なんだ

 

 おけらが、みみずに向かって、お前は生き物ではない、なんて言うとは考えられません。

おけらもミミズもあめんぼもトンボもミツバチも、お互いにいがみ合うことなく「みんなみんな生きているんだ、友達なんだ」です。この歌を私は大学の聖書概論の授業で歌ったことがあります。それを聴いたある学生は、中学校へ教育実習に行って道徳の時間に歌って喜ばれたと言っていました。

 私たちは太陽を見上げるとき、おけらやミミズやあめんぼうやトンボやミツバチになったように思えるのではないでしょうか。その時、私たちはあの馬の合わない敵と一緒に太陽を浴びな

がら愛し合うという道に、自分のほうから第一歩を踏み出せるのではないでしょうか。

 おけらやミミズやあめんぼうやトンボやミツバチを思うだけで不十分なら、私は梅干になり

たいと思います。私が福岡女学院に赴任したのはもう20年近く前のことです。その頃、女学院の短期大学には生活学科というものがありました。確か7月の上旬、すなわち今頃だったと思いますが、生活学科の教室の前の校庭に台が置かれて、その上にざるに平たく盛られた梅が干されていました。しそを入れて干す赤梅干しでした。それを見た途端に、私は大好きな自由律俳人種田山頭火の俳句を思い出したのでした。その俳句こそ、他でもない、「陽を吸う」という句でした。山頭火は、どんどんそぎ落としていった人生の歩みの極みで、

ついに太陽を丸ごと吸うている自分を実感したのでしょう。私はそれ以前にも、この句を気に入っていたのですが、だからこそこの句をその時思い出したのですが、この句の本当のエ

ネルギーが、その時、干されている梅干を見たとき、一気に了解されました。実に、忘れられ

ない体験でした。あの梅干たちは、しっかりと陽を吸っていました。

 私は思います。馬の合わない敵同士の私たちが、一緒にあの梅干のように陽を吸うなら、愛し合う可能性が出てくるのではないかと。こう考えると、太陽を指し示してくださったイエス・キリストに感謝せずにはいられません。

 信仰とは、「陽を吸う」ことではないでしょうか。イエス様は「陽を吸」えと仰っていると言っても言い過ぎではないでしょう。「陽を吸う」なら、敵も味方もありません。イエス様に太陽を指し示

して頂いて、もし私達に「陽を吸う」というごとき感動が無いならば、積極的な信仰が起こってこようはずがありません。そして、「陽を吸う」ごとき心のうち震えるような喜びのうちに「敵を愛す」ということができないならば、「敵を愛しなさい」と仰るイエス様のご命令は、私たちにとって、単なる重荷でしかありません。その時、私達にとって宗教も信仰も重荷となります。教会での奉仕や、いや礼拝出席さえも重荷となります。何十周年記念事業も修養会も重荷となります。

 いやいやながら教会生活をする必要はありません。そこから脱出できるかどうかは、本日

の場合、イエス様の仰ることを聴いて、「陽を吸う」かどうかにかかっているでしょう。  そして「陽を吸う」とは、実は「イエス・キリストを吸う」ということです。そうであるなら、どんないやなこ

とも、死さえも、喜んで受け容れる者となりうるでしょう。死という憎き敵さえも、愛し得るようになるでしょう。それが信仰者の生き方でしょう。敢えて言うなら、そのような気持を起こさせないような教会の営みは間違っているでしょう。この世的な喜びを第一義としているような信徒は、

イエス・キリストを吸うていないのです。しかし、「陽を吸う」ようにイエス・キリストを吸えるかどうかも、神の賜物に属する事柄です。神様、イエス・キリストを吸わせてくださいと祈るしかないでしょう。

 

 

祈り

神様、私達が深呼吸してイエス・キリストを、魂の奥深く吸い込むことが出きるように、導いてください。この祈り、主イエス・キリストの御名によって御前にお捧げいたします。アーメン。


2011.7.3西福岡教会説教「陽を吸う」.pdf
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2011724 西福岡教会説教                中川憲次
説教題            「愛なる信仰」  


聖書箇所   マタイによる福音書 第8章 5節―13節
「さて、イエスがカファルナウムに入られると、一人の百人隊長が近づいて来て懇願し、『主よ、わたしの僕が中風で家に寝込んで、ひどく苦しんでいます』と言った。そこでイエスは、『わたしが行って、いやしてあげよう』と言われた。すると、百人隊長は答えた。『主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に《行け》と言えば行きますし、他の一人に《来い》と言えば来ます。また、部下に《これをしろ》と言えば、そのとおりにします。』イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。『はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。だが、御国の子らは、外の暗闇に追い出される。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』そして、百人隊長に言われた。『帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。』ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた。」

  
イエス・キリスト当時のローマの百人隊長というのは、その勇猛果敢さにおいて、また指導力、統率力においてすばらしい人々だったといいます。最近、新聞に教員の指導力不足についての記事がありました。そのような点においても、日本の教員はローマの百人隊長に学ぶべきかもしれません。しかし本日の聖書箇所でイエス・キリストは、百人隊長の指導力や統率力などを称揚してはおられません。この箇所の百人隊長は、自分の僕の病気を癒してほしいとイエス・キリストに願い出ています。この百人隊長は、イエス・キリストが病気を癒す力のあるお方であることを信じていたのです。もちろん、この百人隊長は自分が異教徒であるということを自覚していました。それは、「主よ、私の屋根の下にあなたが入ってくるには私はふさわしくありません(マタイ88節、ルカ76節)」という彼の言葉でわかります。 マタイによる福音書86節は、この百人隊長をして「私の僕=ギリシャ語ではパイス」と語らしめています。パイスは第一義的には「少年」とか「子ども」を意味する言葉です。マタイはそのつもりでこの言葉を用いていると思います。なぜなら彼はすぐ後の9節で「ドゥーロス(僕=奴隷)」という言葉を使っているからです。だから、6節でマタイがわざわざ「パイス」という言葉を使ったのは意識してのことだと思われます。私は、新共同訳で僕と訳されている言葉を「子どものように大事にされていた奴隷」と解釈したいと思います。
 さて、この「子どものように大事にされていた奴隷」の病気はどのようなものだったのでしょうか。マタイによる福音書86節はこの奴隷の病気が「パラルティコス(中風)」であり、その症状を「ひどく苦しんで寝ています」と報告しています。中風というと老人の病気のように思われますが、これは元来、体の麻痺を表す言葉です。特に「ひどく苦しみ」との「苦しみ」と訳された「バサニゾー」というギリシャ語には元々、「拷問にかける」という意味があり、「痛み」に強調点があります。この少年奴隷は、体が麻痺して横たわり、拷問にかけられているごとく、ひどく痛がっていたのでしょう。それは、とても捨て置ける状況ではなかったのです。その点を際立たせようとするあまり、どう考えても不自然な記述になっております。
私は、この百人隊長が困難も顧みず「子どものように大事にしていた奴隷」の癒しをイエス・キリストに懇願している姿から、この「子どものように大事にされていた奴隷」に対する百人隊長の愛の深さを思います。奴隷に対して愛の深い人を見出すのは難しいものです。奴隷がユダヤにおいてどんな扱いを受けていたかは、たとえば出エジプト記2017節の「 隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」という記述を見れば分かります。奴隷は、牛やろばの一つ手前に位置するだけの、主人の持ち「物」だったのです。このことは、イエス・キリスト当時のーマ世界においても変わらなかったようです。
マタイによる福音書810節でイエス・キリストは「イスラエルの中でこれほどの信仰を誰にも私は見出さなかった」と仰います。では「これほどの信仰」とはどんな信仰なのでしょうか。
 まず、イエス・キリストの権威ある言葉による癒しに対する、この百人隊長の単純で堅固な信仰でしょう。彼はマタイによる福音書8章9節で言っています。「ただ言葉で言ってください。すると私の僕は癒されます」。この「言葉」とは、単なる「言葉に過ぎない」というような言葉ではないでしょう。また、何か魔術のような力を持った言葉でもないでしょう。この言葉とは、イエス・キリストが病人を癒すという意志を表す言葉のことでしょう。「ただ言葉で言ってください」とは、「癒してやろうと意志して下さい」ということでしょう。言葉の命は、その元にある意志です。意志もないのに語られる言葉は、虚ろで無意味な騒音に過ぎません。事実、マタイによる福音書8章13節は、イエス・キリストが「行け、あなたが信じたようにあなたになれ」と仰ると同時に、「 すると彼の僕は、その時に癒された」と記しています。イエス・キリストが癒そうと意志された途端に、その意志は成就したのです。この言葉の根源的な力を百人隊長は信じました。そして、この百人隊長にこのような確信を持たしめたのは、マタイによる福音書8章9節に説明されるような彼の経験です。曰く、「なぜなら、私も権威の下にある人間である。私の下に兵たちを持っていて、これに行けと私が言う。すると、彼は行く。また、他の者に来いと言う。すると彼は来る。また、私の奴隷にこれをせよと言う。すると、彼はする。また、私の奴隷にこれをせよと言う。すると、彼はする」。私は、この百人隊長の言葉に、自分の言葉通りに他人が動いてくれることに対する感動のようなものを感じます。私は、彼のこのような気持を分かる気がいたします。これは、多くの方が経験されるところであると思いますが、私もまた、幼児期に親に自分の言う通りにしてもらったことがある以外、その後、長い間、自分の言う通りに他人が動いてくれるという経験をしたことがありませんでした。ですから、こうして大学に勤めたりして、自分に部下らしい人が付けられて、何かをお願いしたりして、その通りにしていただくとき、ふと、びっくりすることがあります。それは、決して当り前のこととは思えないからです。
 しかし、私は何よりも、「子どものように大事にされていた奴隷」へのこの百人隊長の愛の深さに、イエス・キリストは信仰を見ていると思います。その愛の深さが、ひいては、この百人隊長がイエス・キリストの癒しの力を単純明快に信じることにつながったと思うからです。私はそのことを思うにつけても、高校時代にアルバイトをしていた米屋の奥さんが、私の卒業のときにしてくださったことを思い出します。私の家は、いつも申すとおり貧乏でして、高校を卒業して社会人になる私に背広を買い与えるなどということは思いもよりませんでした。その時、その奥さんは百貨店の洋服売り場に私を連れて行き、イージーオーダーで背広を仕立ててくれたのです。百貨店の店員に寸法を取ってもらいながら、私は複雑な気持ちで、心から喜ぶことが出来ませんでした。本当は母親にそのようなことをしてほしかったからです。しかし、今思うと、親も出来ないことをしてくださったのだと心の底から感謝の思いが湧いてきます。百貨店に連れて行って背広を買ってやるなどということは、わが子のように思っていなかったら出来ないことだからです。私は奴隷ではありませんでしたし、米屋の奥さんは奴隷主ではありませんでしたが、本日の箇所の百人隊長の愛の深さを学びつつ、思わずあの頃のことを思い出してしまいました。
 更に私は、同志社大学の創設者新島襄のことを思います。以前、京都で開催されたキリスト教学校教育同盟の研究部会で新島襄のこと学んだからです。特に同志社大学神学部教授の本井康博先生のお話には深く教えられました。先生のお話によると、最近は同志社大学の学生の中にも「新島襄はクリスチャンだったのか」などという豪傑がいるそうです。それはともかく、新島襄は1864614日、函館から密航します。上海で新島は別のアメリカ船(ワイルド・ローヴァー号)に乗り換え、やがてアメリカ東海岸に到着します。この「ワイルド・ローヴァー号」の船主がボストン有数の資産家で同時に熱心なキリスト教徒であることが新島に幸いしたようです。その船主の名前は、Alpheus Hardy【アルフュース・ハーディー】と言いました。彼には、4人の息子がいましたが、夫妻して新島を実の子どものように、いわば「養子」として家庭に受け入れてくれることになりました。そのきっかけは、新島が密出国の理由を拙い英文で書いた作文だったそうです。夫妻はこれを読んで感激し、生活の面倒をすべて見ることを決意したというのです。その後、その約束どおり、新島襄が日本に帰ってからも新島襄の生活費は、すべて、この「アメリカの父」アルフュース・ハーディーが出し続けてくれたそうです。アルフュース・ハーディーは文字通り新島襄のパトロンでした。パトロンという言葉は、父を意味するパーテルというラテン語から来ているのですから。新島襄がそのアメリカの父に建ててもらって住んだ京都の家が京都市指定有形文化財として残っています。見学してきましたが、あの時代にセントラルヒーティングの完備した和洋折衷の素敵な家でした。日本に帰ってからの新島襄は、そのように生活のすべてが親がかりでした。どうして、そのような愛を新島襄はアルフュース・ハーディーから受けることが出来たのでしょうか。彼にそれだけの値打ちがあったのでしょうか。あるいは運がよかっただけなのでしょうか。あるいはそうかもしれません。新島襄の学力はそれほど高くは無かったようですから、その才能にアルフュース・ハーディーが惚れ込んだからとも言えません。後に同志社で新島襄から学んだ熊本バンドの学生、たとえば海老名弾正などのほうが英語はよくできたそうで、新島は彼等から侮られたとも言われているぐらいです。もちろん、もしこれが本当だとしたら、英語が少し出来るくらいで先生を馬鹿にした熊本バンドの人々も高が知れているということになります。そんなことはともかく、私はアルフュース・ハーディーが新島襄のアメリカの父となったのは、新島襄の才能を愛したというような価値愛に基づくことではなくて、本日の箇所の百人隊長がその少年奴隷に対して持っていたような愛の故だと思うのです。

 さらに、イエス・キリストに認められたこの百人隊長の信仰は、彼の謙遜にあると思います。その謙遜は、ここまで残しておいたマタイによる福音書8章8節冒頭の彼の言葉に示されています。その前の8章7節のイエス・キリストの言葉は、平叙文とも疑問文とも取れる言葉です。しかし、やはり私も多くの研究者と同じように、そして最近の岩波書店版新約聖書の訳に倣って、反語的疑問文として訳したいと思います。すると、このイエス・キリストの言葉は、「私が行って彼を癒すのか」となります。この言葉には、「癒すはずがないではないか」という含みが感じられます。それは、ローマの百人隊長が異教徒であったということを考えると、容易に頷けます。ユダヤ人であるイエス・キリストが異教徒である百人隊長の家に入ってその僕の病を癒すなどということをしたら、イエス・キリストは異教徒の穢れを身に受けてしまうことになります。この百人隊長は、イエス・キリストにとてもその僕を癒してもらうような立場にはない異教徒であったのです。しかし、そうであったとしても、彼自身がマタイによる福音書8章7節で、「主よ、私の屋根の下にあなたが入って来るには私はふさわしくない」と言っているのは実に著しいことだといわなければなりません。ここに彼の本質的な謙遜があります。これは、自分には救われる値打ちがない、という告白です。この言葉を受けて、イエス・キリストは、マタイによる福音書8章10節後半から12節にかけて

おっしゃいます。「まことにあなた方に私は言う。イスラエルの中で、これほどの信仰を私は見出さなかった。また、あなた方に私は言う。すなわち、多くの者らが東また西から来る。そして、天国で、アブラハムとイサクとヤコブと共に、食事の席に着く。しかし、国の子らは外の暗黒に投げ出される。そこで、泣き叫びと歯ぎしりがある」。これはすなわち、異教徒こそ救われるのだと言っておられるのです。しかし、イエス・キリストは何もないのにこう仰ったわけではありません。百人隊長の根本的に謙遜な告白と、イエス・キリストの救いの力に対する単純でしっかりした信仰に感動して、思わずこう仰ったのです。それほどの衝撃をイエス・キリストの心に与えるほど、この百人隊長の謙遜は強烈だったのです。
 学校でも、正規の学生よりも聴講生が熱心に講義を聴いていたりいたします。自分は学ぶ資格があるなどと思っている人間は、学ぶ姿勢に迫力がありません。教えられることに対する感謝もありません。教えてもらって当然などという人間は、目を開けて教室に座っていても、或は本当に目を閉じている人もいますが、「外の暗黒に投げ出され」ているに等しい状態にあります。私たちにとっても大切なことは、自分がクリスチャンだ「などと思ってもみ」ないことでしょう。私たちは教会で、常に教室における聴講生のようでありたいものです。そんな聴講生のような信仰者は、本人が幸せです。なぜなら、そのような人は、常に水が乾いたスポンジにしみこむように、その心にイエス・キリストの福音がしみこんでゆくからです。
 最後です。有名なコリントの信徒への手紙一の1313節はこう言います。「このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。 このうちで最も大いなるものは、愛である」。信仰は言わずもがな大切です。しかしそれは、いわゆる信仰ではない、ということでしょう。自文の持ち物のような少年奴隷を、わが子のように愛して親兄弟のような気持ちでその病の癒しをイエス・キリストに懇願した百人隊長の愛こそが、最も大切なものだということでしょう。それこそが、言わば、「愛なる信仰」だと思うわけでございます。

祈り
 神様、私たちはあなたから十字架の血潮の愛を注いでいただきました。私たちが本日の箇所の百人隊長のような愛に生きることが出来ますように、導いてください。この祈り、主イエス・キリストのみ名によって御前におささげいたします。アーメン。


2011・7・24西福岡教会説教「愛なる信仰」.pdf
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