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2011年5月22日 西福岡教会説教       中川憲次


        「神の御心」

 

 

 

聖書箇所: マタイによる福音書11章16節―19章
「16:今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。 17:『笛を吹いたのに、/踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、/悲しんでくれなかった。』 18:ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、 19:人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」


 ただ今お読みいただいたイエス様のお言葉の少し前の11章2節以下6節までに次のようにあります。
「11:2 ヨハネは牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。そこで、自分の弟子たちを送って、 11:3 尋ねさせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」 11:4 イエスはお答えになった。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。 11:5 目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。 11:6 わたしにつまずかない人は幸いである。」

 イエス様は「私に躓かないものは幸いである」と仰っていました。この言葉を聴くと、私たちは、自分たちの傲慢さこそイエス様に躓く元であることを確認せざるを得ません。
さて、それでは、本日の箇所についてお話いたします。まず、16節冒頭の言葉を考えてみたいと思います。イエス様は「:今の時代を何にたとえたらよいか」と仰います。「今の時代」とは何を指すのでしょうか。まずは、イエス様当時の世の中の人々を指すとして、お話を進めます。そうすると、当時の世の中の人々はリクエストをする人々です。その人々は、丁度、広場で遊んでいる子どものようにヨハネやイエス様にリクエストする人々でした。ヨハネには笛を吹きながら「一緒に踊ろう」と呼びかけます。朗らかにやろう、というわけです。ヨハネは厳格な生き方をしていましたから彼らのリクエストには応じません。すると彼らは「笛を吹いたのに、/踊ってくれなかった」という具合に文句を言うのです。次に彼らは、イエス様が来られて徴税人や罪人らと楽しく飲食を共にしておられると、「葬式の歌をうたったのに、/悲しんでくれなかった」と、これまた文句を言うのです。17節、18節にある通りです。どうせえと言うんでしょうか。先週学んだ箇所でイエス・キリストは「私に躓かないものは幸いである」と仰っていましたが、ここにヨハネやイエス様に躓きまくっている当時の世の中の人々の姿があります。
 以上のように解釈しても、確かに筋は通ります。このようの人々は、まさにヨハネやイエス・キリストに躓きます。なかなか、イエス・キリストを正しく理解しようとしません。なんだかんだと難癖をつけるのです。

しかしこれから今しがたとは全く反対の読み方をしてみたいと思います。すなわち、広場で遊んでいる子どものように呼びかけたのは、ヨハネやイエス様、そしてその教えを述べ伝えているイエス様の弟子たち、またひいてはこの場の私たちクリスチャンであるとして、話を進めてみます。いや、これを本日の本題としたいのです。イエス様も私たちも、当時の世の人々や、また現代の世の人々に呼びかけているのです。しかし世の人々は、その言葉を正しく受けとめることなく、「あれは悪霊に取りつかれている」と言い、「見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ」などと言うのです。喜ばしい福音の言葉を素直に聞こうとはしないのです。即ち、イエス・キリストは笛を吹いてくださったのに、世の中の人々は、そう簡単に踊りません。日本のクリスチャン人口もなかなか増えません。増えるどころか、横ばいすら危ない状況です。ここに至って、クリスチャンは焦ります。その焦るクリスチャンの最たる者の一人であろうと思われる私は、しかし、本日の箇所を読んで、焦るどころか、深く反省させられる言葉がありました。


それはほかでもない、17節の言葉です。曰く、
「笛を吹いたのに、/踊ってくれなかった。」
私の伝道の意識は、まさに笛を吹いて人を踊らそうという意識です。ここに大問題があるでしょう。ことは伝道に限らないでしょう。この世の中で何かをしようとするとき、人を躍らせようなどという不埒なやからは、実りを得ることは出来ないでしょう。そして、伝道において、そのことは最も如実でしょう。イエス様の福音という笛を吹いて、世の中人々が踊ってくれないからといってヒステリックになる前に、その踊らせようという自分の姿勢そのものを激しく問う必要があるでしょう。
 福音を語るとはどういうことでしょうか。イエス・キリストを宣べ伝えるとは、どういうことでしょうか。人をクリスチャンにして、教会の勢力を伸ばすことでしょうか。クリスチャンにするまでいかなくても、教会に人々が来て、教会をにぎやかにすることでしょうか。そして、その笛吹きが成功した暁には、心から満足して大いなる感謝の祈りを神様に捧げるのでしょうか。それは、正に、笛を吹いて人を躍らせることができたことに対する、自己満足の祈りです。
 反対から考えてみましょう。信仰生活とは、笛を吹かれて踊らされる生活のことでしょうか。そういうことでもないでしょう。信仰生活とはイエス・キリストに出会うことによって、自分でも気が付いていなかった自分自身の無限の宝に時々刻々気づかされ、喜びの内に生きる日々のことでしょう。その意味で、信仰生活とは、人を踊らせたり、人に踊らされる生活のことではなく、
イエス・キリストと出会い続ける生活のことでしょう。
 私たちは、色々と手を尽くして、教会に人を招こうと致します。この世の人々の喜びそうなことをして、もっと人々をひきつけねば、などと思います。そのとき、人々を枯れ木も山の賑わいの枯れ木にしていないかどうか、反省すべきでしょう。ともすれば、その一人一人のことを思わず、教会の勢力の一部に数えたりしてしまいがちです。教会の勢力が保たれることが、まず第一に大切なことになりがちです。
 この日曜日の10時半からの礼拝にたくさんの人々が出席されることは、それは実にありがたいことであり、心から喜ばしいことです。しかし、その一人一人が、この礼拝の直中で、ご自分自身のかけがえのない豊かさに今更のように気付かされて、生きる力が心の底からみなぎってくることこそ、最も重要なことです。そのためには「人を躍らせ」ようとするような不埒な考えを神様に取り除いていただくしかありません。私たちは、私たちの関わる全ての方々が、その方々お一人お一人の中にある限りなく豊かな宝に気付かれ、それを十二分に生かした日々を生きられるように祈りましょう。即ち、人々の幸せのみを祈りましょう。一人一人の幸せこそが、「神の御心」であるに違いありません。

<祈り>神様、私たちをして、人を踊らせようとする誘惑から救い出してください。あなたの御心だけを、私たちにおいてならせてください。この祈り、主イエス・キリストの御名によって御前にお捧げいたします。アーメン。

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2011年5月1 日 西福岡教会説教     中川憲次


          「仕える心」

 

 

 

聖書箇所: マタイによる福音書10章40節―42節
「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」
  
 1990年、ベルリンの壁が崩壊した混乱の最中に、旧東ドイツに留学していた私は、前年の12月に呼び寄せていた家族と一緒に、オランダに旅しました。ゴッホ美術館でゴッホの絵を見たり、アムステルダム国立美術館でレンブラントの絵を見たり、あるいは海辺の町まで足を伸ばしたり、それは楽しい旅でした。しかし、その旅も終わり、留学の本拠地である東ベルリンへ帰ろうとした頃でした。アムステルダムのパン屋を覗いて回っていた時、妻のバッグが盗まれました。その中には財布も入っていましたし、何よりも重要なパスポートやビザが入っていました。早速、日本領事館に駆け込みました。領事館の人は私たちを一目見た途端に、「やられましたか」と仰いました。私たちのように、パスポートを盗まれて駆け込む人が多かったのでしょう。私たちはうかつさを嘆いたものでした。領事館の人は、仮の書面をしたためてくださり、「もしパスポートの提示を求められたらこれを示しなさい。しかし、認められるかどうか保証はできません」と仰るのです。ついこの間、ベルリンの壁が崩壊したばかりで、混乱しているときでした。私たちがベルリンのツオーローギッシャー駅からオランダに向かう列車に乗ったときは夜中に検閲がありました。きっとベルリンに帰る場合も検閲があるに違いありません。私と妻は幼い二人の子どもを抱えてビビリながら列車に乗ったのでした。本当に長く感じる列車の旅でした。しかし、私たちにとっては幸いなことに検閲はありませんでした。もはや検閲どころではない混乱状態にあったのでしょう。
 ただ、私はこの経験から、パスポートやビザのありがたさを今更のごとく思い知りました。それらは、その持ち主を守ってくれるものです。日本のパスポートには、日本国外務大臣の名前で、「日本国民である本パスポートの所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する」との保護要請文が日本語と英語で記載されています。菊の御紋はともかくも、この日本国の配慮がなければ、私たちの旅は危険極まりないものになります。
 私はなぜ、こんな昔話を説教の冒頭にしたのでしょうか。賢明な皆さんはもうお分かりだと思います。本日の聖書の言葉は、イエス・キリストが危険を伴う伝道旅行に赴く弟子達のために与えられたパスポートのような言葉だと思ったからです。イエス・キリストは、自分の伝えた福音を宣べ伝える弟子達の群れが、その行く先々で善意を持って迎えてもらえるようにと配慮しておられるのです。先ほどのパスポート流に言うなら、次のように言っておられるごとくです。曰く、
「私の教えを携えてあなた方のところに行き、喜ばしい音信を宣べ伝えようとしているこの者たちを、通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係する皆様に要請します。」
 その際イエス・キリストは、その言葉の効果を高めようとして、最後の決定的な言葉を申されました。こうです。
「わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」
この言葉に、弟子達に対するイエス・キリストの思いやりは極まっています。どうか、この者たちをよろしく頼みます、と言っておられるのです。
 では、弟子達はいったいどうしてこんなにイエス・キリストにご配慮いただけるのでしょうか。イエス・キリストは本日の聖書の箇所の冒頭でこう仰っていました。
「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。」
 こうなると、弟子達はイエス・キリストや、そのイエス・キリストをおつかわしになった神様と同じ値打ちがあるものということになります。そんなことはありえないでしょう。弟子達が如何に信仰深くとも、イエス・キリストや、そのイエス・キリストをおつかわしになった神様と同じと言うことはできないでしょう。にもかかわらず、イエス・キリストは紛れもなくそう仰っています。
 では、なぜイエス・キリストはこんなことを仰ったのでしょうか。それは、ひとえに福音が十二分にこの世の中で働きを為して、できる限り多くの人々が救われるためです。そのために、たとえどんな信仰の状態にある弟子のためにでも、この者を守ってください、助けてください、と仰ったのでしょう。
 こんなご配慮をいただいたなら、イエス・キリストの弟子達の為すべきことはただひとつです。それは、すなわち、ただただイエス・キリストの過分なご配慮に感謝して、福音伝達のために、人々の救いのために、お互いに仕えあうことです。その際の仕える心は、大仰なものではなく、冷たい水一杯でも与え合うという心です。教会において、献金をささげたり、奉仕活動をしたりするということは、全て、イエス・キリストの福音にお働きいただいて、一人でも多くの人が救われることを願って為されるものです。そのために、新しい一週間も、冷たい水一杯を心ののどの渇いている人に飲んでいただくように仕えてまいりましょう。
祈ります。

<祈り>
神様、今現在、霊肉共に飢え渇いている人々にイエス・キリストの福音による救いが与えられることのみを願って、その福音伝達のために、使徒たちに続く弟子でもある私たちが、お互いに冷たい水一杯でも飲ませあうことができますように、私たちを導いてください。
この祈り、主イエス・キリストのみ名によって御前におささげ致します。アーメン。

2011年5月1 日西福岡教会説教「仕える心」.pdf
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2011年4月24日(日)西福岡教会礼拝説教      中川憲次


  活かされる信仰

 

 

 

 
聖書箇所: ヤコブの手紙4章1節―10節
得られないのは、願い求めないからで、願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。神に背いた者たち、世の友となることが
、神の敵になることだとは知らないのか。世の友になりたいと願う人はだれでも、神の敵になるのです。
讃美歌521番(イエスよこころに宿りてわれを宮となしたまえ)536番(むくいをのぞまでひとにあたえよ)
 北ヨーロッパに12世紀頃からベギンと呼ばれる女性たちが登場しました。彼女らは、貴族の出身でないが故に正規の修道女になれなかった女性たちでした。彼女らは、それでも修道女のような生活を目指して、10人から20人くらいの共同体を作って、ベギン館と呼ばれる家で共同生活をいたしました。元気な者は外へ働きに出てその収入をプール制にして共同生活を営みました。病弱などの理由で働けない者は祈りによって、その共同体を支えました。なお、なぜ彼女らがベギンと呼ばれたかについては、これもまた諸説があって決着していません。その中でも有力と考えられる説は、彼女らのかむっていたベールがベージュ色をしてい
たからというものです。このベギンが登場した背景についても諸説があって、決着していません。 その中でも有力なのは、十字軍の影響で男性人口が減り、未婚女性が余ったからというものです。結婚せずに生きる道を求める女性たちがベギンという生き方を求めたというのです。私も研究者の一人として、この説をやはり重要なものと考えています。
 さて、このベギンたちは、言わば中世後期のキャリアウーマンと言うことができるかと思いますが、彼女たちが選んだ職業が本日の説教で重要です。
 その仕事とは、織物業をベギン館で営んだり、ビール醸造業者やパン屋、ろうそく屋、印刷屋などに働きに出たりした他、子供に初歩的な読み書きを教えたり、捨て子やストリートギャングの世話をしたり、救済院での病人看護、死者のための祈りと通夜、埋葬の手伝い等でした。
 ベギンたちは、例えば織物業でよい製品を安く提供したので世俗のギルドから妬まれたほ
どでした。その事実は、彼女たちがキャリアウーマンとして如何に実力を持っていたかを示しています。しかし本日注目したいのは彼女たちが病人を看護した点です。ですから、ベギン
は、『看護の歴史』などという書物にも登場しています。ベギンたちは病人に奉仕していたの
です
。織物業などで得た収入で共同生活を営みながら、一緒に暮らしているベギンの中から、病人の看護に何人かを送り出していたのです。そして、最近の研究で明らかにされたのは、病人の中でも中世においてレプラと呼ばれていたハンセン病患者をベギンは特によく看護していたという事実です。これは、ベギンに特徴的なことだというのです。1249年生まれの一遍上人という人がいます。踊念仏で有名な時宗の開祖です。彼の活躍の様子を描いた一遍上人絵図というのがありますが、その中にハンセン病患者が描かれています。一遍がハンセン病患者に接したのは、ちょうどヨーロッパでベギンがハンセン病患者の看護に向かっていた頃です。ただ一遍は,ハンセン病患者に向かってその病を罪の故として、仏に許しを請うようにと薦めたそうです。ここに、一遍の時代の子としての限界が感じられます。それに引き換え、ベギンたちはレプラとして虐げられていた人々をただただ愛深く看護いたしました。
 さて、先程お読みいただきましたヤコブ書の言葉で、本日特に取り上げたいのは3節と4節です。まず、3節に曰く、
「願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。」
 自分の楽しみばかりを求める人生の空しさを語って、余りあるみ言葉です。世の中には、
「自分の楽しみばかりを求める人」が満ちています。それこそ、「世」です。だから、4節も重要です。
 「神に背いた者たち、世の友となることが、神の敵になることだとは知らないのか。世の友になりたいと願う人はだれでも、神の敵になるのです。」
世の友となる生き方は、神の敵だというのです。ここで、イエス・キリストの言葉がすぐに思い浮かびます。マタイによる福音書6章24節に曰く、
「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
イエス・キリストは、どんな人間も憎むことはされませんでした。いかなるひどい人間も、悪魔呼ばわりしませんでした。しかし、富だけは神と敵対するもの、すなわち悪魔だとされました。私たちが富を自分の楽しみのためにだけ用いようとするとき、富と言う悪魔のとりこになっています。貪欲に富を求めて、自分のためにだけ用いて楽しもうとばかり考える人生の、なんと空しいことでしょうか。私は、ベギンという生き方が北ヨーロッパに生まれた動機は、正しい動機だったとつくづく思います。修道院に入れず、結婚もせず、娼婦になる気もない女性たちは、ど
うすれば自分たちが生かされるかを考えたのに違いありません。その時、彼女たちはベギンという生き方を選びました。彼女らは共に暮らしている人々の幸せを考え、また虐げられているハンセン病患者の幸せを考え、そのために自分が用いられるように神様に願い求めたに違いありません。だから彼女たちは用いられました。彼女たちは「自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求める」ことをいたしませんでした。
 ここで、関西学院神学部の私の二人のすばらしい後輩を紹介させてください。このお二人
は、私が大学院生の頃に学部におられた方々です。
 お一人は、宮川慎一さんです。私が大学院の2年のとき確か学部の1年生だったと思います。その後、20年も経って福岡女学院教会で出会いました。彼は福岡徳洲会病院の医師になっていました。彼は、神学部卒業後、医学部に入りなおし、医者になっていたのです。私は、あのアルイバート・シュヴァイツアーみたいだと思いました。また、『世界の中心で愛を叫ぶ』を書いた片山恭一という作家は、彼の高校時代の同級生だそうです。それはともかく、宮川さんが神学部卒業後、徳島大学医学部に入りなおされたのは、中学時代に郷里愛媛県宇和島出身の大先輩で、あのネパールで働かれた岩村昇先生の講演を聞いて感動したからだそうです。彼はこの8月27日に福岡中部教会で派遣祝福式を受けた後、妻の理世さんと共に3年間の任期でバングラディシュ東南部のチャンドラゴーナに派遣されました。派遣元はJOCS(Japan Overseas Christian Medical Cooperative Service)すなわち日本キリスト教海外医療協力会で、岩村昇医師や中村哲医師を派遣したNGO団体です。宮川さんは、中学時代以来、この奉仕活動のために準備してきたことになります。彼をして海外医療のた
めに働きたいという願いの成就に導いたものは、一体何だったのでしょうか。それは、癒し主であり救い主であるイエス・キリストへの彼の感謝だと私は思います。彼がいつ洗礼を受けたのか私は知りませんが、彼は自分が癒し救われたことをきっと忘れていないのです。そして何よりも彼は、「自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求める」ような人生の空しさに気づいておられるのでしょう。
 もう一人は、奥田知志さんで、日本バプテスト連盟東八幡キリスト教会牧師です。彼も確か、私が大学院生の頃に学部におられた方です。彼は、神学部時代の大阪の釜ヶ崎での奉仕
活動の経験から、現在、特定非営利活動法人 北九州ホームレス支援機構の代表をしておられます。彼は、ホームレスの人たちとの信頼関係の中から彼らに必要な支援とはなにかを見つけだそうとしておられます。
 自分では何も出来ていないのに、後輩のことなど申して、恥ずかしい限りですが、私は、奇しくも後輩の素晴らしい奉仕活動に接して、本当にうれしゅうございます。彼らのことを思うに
つけても、そして、中世のベギンたちのことを思うにつけても、何よりも必要なのは自分が「活かされ」るような、「正しい動機」に目覚めることだと気づかされます。そして、他でもない私自
身が、神様に活かして用いられる存在となりたいと願います。おいしいものを食べて、良い服を着て、きれいなところに住んで、死んだときに人々から「あの人はエゴイズムの塊だった」な
どといわれる人生だけは送りたくないものです。


【祈り】神様、どうか私達に「自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求める」ような人生に別れを告げさせ、私達一人一人をあなたのために活かしてお用いください。この祈
り主イエス・キリストのみ名によってみ前にお捧げいたします。

2011年4月24日西福岡教会「活かされる信仰」.pdf
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2011年4月17日 西福岡教会   中川憲次


         「十字架を担う」

 

 

 

 

 

聖書箇所:マタイによる福音書10章34節―39節
「10:34「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。 10:35わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。 10:36こうして、自分の家族の者が敵となる。 10:37わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。 10:38また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。 10:39自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」


  西南学院が新制大学になるとき尽力した人物に伊藤祐之という人がいます。この人は軍人の家に生まれ、京都大学で河上肇に学び、賀川豊彦や西田天香の影響を受け、また無教会派の信仰にも触れた人です。
さて、日本基督教団東郷教会牧師の大藪善次郎先生が『新制度 西南学院中学校三十年の歩み』という書物に寄せられた文章で次のように書いておられます。「我々が西南中学に入学したとき、入学式で伊藤祐之校長が『西南に入学したものは、大馬鹿者になれ。』」と言われたのにはおどろいた。そのおどろきが大きかっただけに、今でもその言葉が耳をはなれない。そして、大馬鹿者になることと、キリストに忠実になることとは、その当時、僕の頭の中では、なかなか一致しなかった。今でもそうなのだが・・・・・・」。
伊藤祐之先生は第二次世界大戦敗戦の傷跡が残る1948年(昭和23年)から1951年(昭和26年)まで西南学院中学の校長を務められたのです。12歳前後の中学1年生に向かって、入学式で、「西南に入学したものは、大馬鹿者になれ」と言ってのけた伊藤先生は、ユニークです。しかし、その言葉の深い意味を少年であった大藪善次郎先生は正しく聴き取っておられます。大藪先生の文章によって明かされた師弟のドラマティックな出会いは、イエス・キリストという存在の言葉に尽くせない偉大さを教えてくれているように重います。
 ところで、「西南に入学したものは、大馬鹿者になれ」と仰った時、伊藤校長の脳裏には、たとえば使徒パウロの次のような言葉があったのではないでしょうか。「わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです(コリントの信徒への手紙一 1章23節―25節)」。イエス・キリストは人類の罪を背負うて十字架上で死なれました。人のために死ぬほど愚かなことはありません。伊藤先生は、このイエス・キリストに倣って、人のために「十字架の上で死ぬ如く」仕えるという賢い愚かさに生きようと新入生に語りかけられたのではないでしょうか。
 本日お読みいただいたマタイによる福音書10章34節―39節においてイエス・キリストは、「平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ」と仰り、また「自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない」と仰っています。ここで「自分の十字架を担う」とは、伊藤祐之先生流に言うなら、イエス・キリストを信じることによって「大馬鹿者になる」ことでしょう。
 ところで、伊藤祐之先生はイエス・キリストに従うことが、家庭生活を初めとする幸せに剣を投げ込まれるということを実際に経験された方でした。先生は、1937年、あの矢内原忠雄が東京大学教授を辞職せざるを得なくなった「神の国」という講演を語った日に、その講演会の司会をしており、その司会者としての祈りの中で当時の日本の歩みを批判したのでした。そのため先生もまた特高警察に追い回されることとなりました。伊藤先生は当時無教会の独立伝道者として個人雑誌「新シオン」を発行しておられました。1896年生まれですから1937年当時、先生は41歳だったことになります。先生は当日の祈りの全文をご丁寧にもその個人雑誌に載せたのでした。そのためこの雑誌は発刊処分となり、先生は迫害を受けることとなりました。1938年4月発行の『新シオン』第52号の短歌欄「新しき歌」のご自分の一首に詞書して伊藤先生曰く、
「一九三七年秋試練の嵐、全国無教会陣営を吹きまくりぬ。此の秋聖名の為傷つきし戦士多し。(略)」
 当局による迫害下、多くの無教会の信徒達が検挙されつつあったことが窺えます。更に、同号巻末の「身辺雑感」と題した文章で伊藤先生曰く、
「(略)尚ほ序でながら、本誌は昨秋来二度筆禍事件に遭遇せしが、二人の新婚の姉妹より其の主人の職業の故を以って本誌の読者たることの中止を申し出られた。もっと多からむ事を私は豫期して居しものであったが。誠意よりせざる読者の減ぜん事は私の切に冀ふ處である。今後とても遠慮なくドシドシ購読中止せられん事を。(略)」
『新シオン』第48号に件の祈祷が載せられたことによって、1937年秋以来、無教会陣営に対する当局による迫害が起こったために、日和見主義的に『新シオン』の読者をやめる者が少なからず存在したことが窺えます。「今後とても遠慮なくドシドシ購読中止せられん事を」と言い放った伊藤先生の反応は堂々としたものだったと言えるでしょう。
 続く1938年5月発行の『新シオン』第53号巻頭で「確くして揺(うご)くことなく」と題して伊藤先生曰く、
「昨秋来、我が無教会陣営に臨みつつある試練は恐らく内村鑑三先生の『非国民』以来のものであって、戦士達の負わされし軛は決して軽きものではない。勿論初代基督教徒や宗教改革者達の負ひし十字架には遥かに及ばないかも知れないが、併し或者は既に血を灑ぎ或者はその地位と名誉と財産とを喪ひ或者は六十餘日間獄に繋がれた。(略)東京帝国大学教授の肩書をすてて見放(みさ)くる天は廣しも(略)基督(しゅ)の為に繋がれにける聖使徒を切にこそ思へ寝ねがてぬ夜を  而して今や聖名を呼ばふ者の間からさへ此等の者のうちの或者の上に非難・嘲笑・悪罵と等々までがそそがれつつある。」
 そしてまた、同号の短歌欄「新しき歌」に「一九三七年十二月及び一九三八年五月本誌四十八号の故に宰の前に立つ」と詞書して伊藤先生詠んで曰く、
「さよふけて調べ了りぬ 疲れはてぬ 愛故と思(も)へば あつきもの目にあり」
 また詠んで曰く、
「新宿にて乗込む乗客(ひと)等羨(とも)しかり 夜半を釈放(ゆる)され帰宅(かへ)り往く身に」
 また詠んで曰く、
「大いなる戦闘はてて夜半を帰宅(かへ)る吾を待つ家の電燈(あかり))あかかりし」
 以上の三首には、取調べに疲労困憊している伊藤の息遣いが切々としていて迫りくるものがあります。伊藤の身に『新シオン』第四十八号の筆禍は生易しいものでなかったことが理解できよう。
 そして終に、1938年6月発行の『新シオン』第54号の巻末で「西荻窪通信」と題して伊藤先生曰く、
「本誌四十八号にかかはる筆禍事件は六月二十二日不起訴と決定、茲に一段落をつけました。(略)尚ほ殆ど時を同じうして同じ筆禍にあられし海軍少佐水野廣徳氏(『此一戦』の著者)は罰金刑に處せられました。」
 伊藤先生の安堵が伝わってくる文章です。更に同号の短歌欄に伊藤先生一首を詠んで曰く、
「ただひとりとなるをおそれで戦わむ 御霊のわれをひきますままに」
 ここに、本日お読みしたマタイによる福音書10章38節の意味で「十字架を担って」いる人がいます。

2011年4月17日西福岡教会説教「十字架を担う」.pdf
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2011年4 月3 日 西福岡教会 中川憲次

 

        「内緒話でない信仰」       

 

 

 

 

 

聖書箇所:タイによる福音書10章26節―31節 マタイ 10:26

「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。

マタイ 10:27 わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちさ れたことを、屋根の上で言い広めなさい。

マタイ 10:28 体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。 マタイ 10:29 二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。 マタイ 10:30 あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。

マタイ 10:31 だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」  

 

 4年ほど前にこんなニュースがありました。「17世紀の日本人殉教者188人が 聖人に次ぐ『福者』に(2007年3月4日(日)」というタイトルで、曰く、 「在バチカンの外交筋によると、法王庁列聖省の枢機卿会議はこのほど17世紀前半の日本人188人の殉教者を『福者』とすることを了承した。最終的には4月の復活祭の前後にローマ法王ベネディクト16世が裁可を下し、正式決定すると見られる。カトリックで は福者は聖人に次ぐ尊崇の対象。188人は激烈なキリシタン弾圧が行われた江戸時代初期の全国の殉教者で、一般信徒がほとんど。女性や子供も多い。」 そして、この列福のために日本のカトリックの人々は、「殉教者を想い、ともに祈る週間」 というようなキャンペーン活動を去年から続けていました。その呼びかけ文に曰く、 「以下のようなことを念頭において『188殉教者』を取り上げることにしました。日本国内に殉教者たちについて幅広く告げ知らせ、殉教者が偉人であるということだけでなく、現代が抱える様々な問題にどのような示唆を与えているかに焦点を当てます。」  では列福された殉教者たちは、問題に満ちた現代を生きる私たちにどんな示唆を与えてくれているのでしょうか。それはまさに本日の聖書の箇所でイエス・キリストが示しておられるような示唆を与えてくれているのではないでしょうか。マタイによる福音書 10章28節に曰く、 「 体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」  殉教者たちの有様は、死ぬことに意味があると訴えているのではないでしょう。そうではなくて、イエスをキリストと告白することの意味を、命を懸けて訴えているのでしょう。その心は星野富弘さんのあの有名な詩にも通じるでしょう。『花の詩画集~鈴の鳴る道』という本に入っている詩です。

 

命が

いちばんだと思っていたころ

生きるのが苦しかった

いのちより

大切なものが

あると知った日

生きているのが

嬉しかった

 

星野さんは、まさに「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れ」なくなったと、告白しておられるのです。  さて、これから童謡を歌います。もちろん、賢明な皆さんはもうお分かりでしょう。私は あの童謡を正しく歌う自身がありません。楽譜も手元にありません。皆さん、教えてください。一緒に歌ってください。結城よしを作詞・山口保治作曲の「ないしょ話」という童謡です。

 

「ないしょ ないしょ ないしょの話は あのねのね

にこにこ にっこり ね 母ちゃん お耳へ こっそり 

あのねのね 坊(ぼう)やの おねがい きいてよね  

 

 私たちはこの坊やのように、信仰を「ないしょ」にしていないでしょうか。悪い意味で 、隠れキリシタンになっていないでしょうか。この世の利益を、イエス・キリストを告白する ことよりも優先していないでしょうか。  ところで、この「ないしょ」という言葉について玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)という臨済宗のお坊さんがかつて中央公論という雑誌の中で面白いことを書いていましたので、ご紹介します。玄侑さんは、こうおっしゃいます。 「本来『ないしょ』というのは、『内証』という密教用語が変化した言葉で、『内緒』や『内所』というのは当て字である。他者が知り得ない『さとり』の世界を、秘密といい、内証といっ た。なぜ知り得ないのか。それは、言葉で表現できないからである。」  このように玄侑さんによれば、仏教の信仰は「内証」ごとです。この点が、イエス・キリストのおっしゃる信仰と決定的に違います。イエス・キリストは信仰は内証だとはおっしゃいません。イエス・キリストは本日の箇所の26節で、次のようにおっしゃっていました。 「覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。」  このように、イエス・キリストのおっしゃる信仰は「内証」ごとではありません。イエス・キリストは27節で、こうもおっしゃっています。 「わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。」  これも、もう5年ほど前になりますが、森進一は「おふくをさん」を歌うなとその歌の作詞者から言われたことがありました。それで、嘉穂劇場へ行っても森進一の「おふくろ さん」は聞けなかったそうです。だから、当時家で私が歌ってやりました。 「おふくろさん」(川内康範作詞・猪俣公章作曲)

 

おふくろさんよ おふくろさん

空を見上げりゃ 空にある

雨の降る日は 傘になり

お前もいつかは 世の中の

傘になれよと 教えてくれた

あなたの あなたの真実

忘れはしない  

 

それで、家族から聞きたくないから歌うなと言われました。歌手は歌を歌ってこそ歌手です。歌を歌ってはならないといわれたら、歌手は歌手でなくなります。お金が入らないから大変というより、歌えない歌手は生ける屍です。私たちは森進一とは違いますが、似たところもあります。もし私達がクリスチャンであるなら、クリスチャンはイエス・キリストをたたえる歌を、屋根の上で大きな声で歌えといわれた歌手みたいなものです。イエス・キリストを告白し、イエス・キリストをたたえる歌を歌うことがクリスチャンの生きがいです。私たちは歌を忘れたカナリヤのようなクリスチャンになっていないでしょうか。

 

歌を忘れたカナリアは後ろの山に棄てましょか    

いえいえ それはかわいそう    

歌を忘れたカナリアは背戸の小薮に埋けましょか    

いえいえ それはなりませぬ

歌を忘れたカナリアは柳の鞭でぶちましょか    

いえいえ それはかわいそう    

歌を忘れたカナリアは象牙の舟に銀のかい    

月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す 

 

 もしも、私たちが、今、「歌を忘れたカナリヤ」のような「内緒話の信仰者」になっているなら、「月夜の海に浮かべてもらって」、忘れた歌を思い出しましょう。  信仰を告白する日々は、この世に比べるものがないすばらしい日々です。それは、伊藤仁斎の弟子であった京都の町衆の見出した境地にも通じるものがあります。これは「講談社文芸文庫]の『小林秀雄対談集』にある話です。文芸評論家の小林秀雄はプラトンの研究者だった田中美知太郎との対談で次のように言うのです。  「伊藤仁斎の弟子であった町衆は、道楽という道楽はしつくして、学問が最後の道楽になったとも思えるんですね。(伊藤)仁斎先生のところへゆけば人生がわかる。暮らしている意味がわかる。これは酒や女よりもおもしろい」  この金持ち連中は、この世の面白いことは金にあかしてすべてやりつくした人々でした。ただ一つしていないのが学問でした。それで、料亭に伊藤仁斎先生を招いて講義をしてもらい、それをご馳走を食べながら聞いたというのです。そしたら、それが今までしたどんな道楽よりも面白かったというのです。もちろん、イエス・キリストを信じて告白する生活は、伊藤仁斎の弟子であった町衆の生活とは違います。しかし、この世の中にこれ以上の ものがないということを見出すという点では通じるものがあります。イエス・キ リストに出会い、イエス・キリストに「命よりも大切なものがあるということを」、そっと「暗闇 で耳打ち」していただけるなどということは、もはやこの上のないすばらしいことです。どんな道楽もこれにはかないません。内緒話にせずに、この道楽を堂々と教会の外にも、すなわち私たちのウイークデーの社会の現場にも持ち出しましょう。

 

<祈り> 神様、イエス・キリストを歌を歌うように楽しく告白する生活を、私たちに堂々と為させてください。この祈り、主イエス・キリストのみ名によって御前におささげ致します。アーメン。

2011年4 月3 日西福岡教会説教「内緒話でない信仰」.pdf
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