2018年12月 クリスマス キャンドルサービス説教 「一歩踏み出す」
【聖書】:マタイによる福音書2章1節-12節
イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。
彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
マタイによる福音書を通してイエス様の誕生の物語を聖書から聴きました。
クリスマスの物語には、マタイによる福音書の他に、もう一つルカによる福音書の伝える物語が在ります。普通教会学校で子どもたちが演じるクリスマスの誕生物語の劇は、これらのマタイとルカの二つを併せて演じますが、その内容はそれぞれ異なっています。
ルカによる福音書では、羊飼いたちにイエス様の誕生が告げ知らされますが、マタイによる福音書では、東の国の占星術の学者達が星に導かれてやってきて、赤ん坊のイエスに出会うというお話しです。
どちらが本当の話か、と言うことは問題ではありません。問題は、イエスに出会ったことなのです。マタイによる福音書では学者達は喜びに溢れた、と記されていますし、ルカによる福音書では羊飼いたちは神をあがめ讃美した、と記されています。両者に共通していることは、実際に体を動かしてイエスに出会いに出かけたことです。
今回は、マタイによる福音書に記されている、東の国の占星術の学者達の行動に注目します。
東の国の占星術の学者達は、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちは東の方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」と人々に訊ねます。東の国とは、現在のイラクの辺りのメソポタミアに存在した「バビロニア」の地ではないかと想像されます。
イエス誕生の当時は既にバビロニアはペルシャ、ギリシャ等による占領支配の変遷を経てローマに占領されていました。しかし、メソポタニアの地で数百年前に栄えたバビロニアという国では、占星術や天文学がとても発達していました。ブリューゲルの描いた「バベルの塔」は、天体観測の塔ではなかったかとも言われています
ローマ支配下のバビロニアの地からの学者達の話を聞いて、多くの人が動揺しました。その一人はローマ帝国の信託統治を行っていたユダヤのヘロデ大王でした。彼はその地位を守ることばかりを考えていた王ですが、その話を聞いて、赤ちゃんに会うために出かけることはしませんでした。
多分自分の地位が脅かされるのを恐れたからでしょう。でも、勇気を絞って赤ん坊のイエスに会いに出かけて居れば、彼の人生もその後の生き方も全く代わっていたかも知れません。
エルサレムの人々も同じでした。彼等もイエスに出会おうとする「行動」に踏み出せませんでした。
その次には、ヘロデ王に、イエスはどこで生まれるのかと訊ねられた祭司長や律法学者達です。
かれらは、旧約聖書の「ミカ書」という預言書から、イエスがベツレヘムで生まれると言う言葉を見つけ出して、ヘロデ王に知らせます。彼等が、聖書の預言書を本気で信じたのなら、当然自分達で出かけて探し出すはずです。遠くの地から学者達が訊ねてきているのです。でも彼らは、ヘロデ王の気持ちを忖度して動こうとしませんでした。
ですから、赤ん坊のイエスに出会ったのは、ただ東方の学者達だけでした。彼等は、遙か彼方の800Kmも離れた、バビロンの地から星を頼りにエルサレムに到達したのです。
800キロという距離が想像できますか?博多静岡間が大体800キロです。その距離をよく絵本にあるようにラクダに乗ってでかけたのでしょうから、何日もかかる、途中で何がおこるかもわからない、しかもイエス様はどこにいるかもわからない、会えないかもしれない…そんな不安いっぱいの、危険や困難だらけの旅だったろうと思います。それでも出かけました。
彼等は、聖書の言葉をまっすぐに受け止め、星の輝きを見たときに「一歩踏み出して、行動を起こしました。」そして彼等は、誕生したばかりのイエスに出会う事が出来たのです。星に導かれて「一歩踏み出した」学者達だけが救い主の誕生に立ち会えたのです。
救い主が現れることを理解するだけではなく、「一歩踏み出し」て出会いの旅に出かける勇気こそが、彼等が喜びに溢れる事の出来た出来事でした。
私たちは、昨年3回シリーズで「ぺシャワール会」の中村哲医師の行動を記録するDVDをみました。土木に関してはずぶの素人の中村医師が砂漠に水を引くという事業に一歩踏み出した時も、それはまるで成功するとは思えない、無謀な不安一杯の旅立ちだったろうと思います。
あの事業の壮大さを見た私たちには、あれが、中村さん一人の力でできる技ではないことを知っています。ド素人の中村さんとともに希望の星に導かれて「一歩を踏み出した」沢山の人々がいたから、なし得た事業であったのだと思います。
中村さんの昨年の6月のペシャワール会報の報告書の最後の文を紹介します。
「ペシャワール赴任から33年が経ちました。歳をとったせいか、川の流れを見ながら、
この間の出来事を夢のように思い返すことが多くなってきました。
多くの友人や仲間先輩たちも他界し、ここまで生き延びて事業が続いていることを奇跡のように感じています。…
…今世界が脅えるテロの恐怖は、16年前の2001年「アフガン報復爆撃」に始まりました。
あの時が分岐点でした。…おびただしい犠牲は「仕方ない」とされ、…どんな残虐な仕打ちも黙認されました。平和を求める声も冷たい視線を浴び、武力が現実的解決であるかのような論調が横行しました。
文明は倫理的な歯止めを失い、弱い立場の者を大勢で虐待することが世界中ではやり始めたのです。別の道は本当になかったのでしょうか。
他方、干ばつと飢餓はやまず、多くの人が依然として飢餓と貧困にあえいでいます。
アフガニスタンで起きた出来事から今の世界を眺める時、世界は末期的状態にさしかかっているようにさえ見えます。
無差別の暴力は過去の私たちの姿です。敵は外にあるのではありません。私たちの中に潜む欲望や偏見、残虐性が束になるとき、正気をもつ個人が消え、主語のない狂気と臆病が力を振るうことを見てきました。
このような状況だからこそ、人と人、人と自然の和解を訴え、私たちの事業も営々と続けられます。
ここは、祈りを込め、道を探る以外にありません。祈りがその通りに実現するとは限りませんが、それで正気と人間らしさをたもつことはできます。
そして、この祈りを共有する多くの日本人とアフガン人の手で事業が支えられてきたこと、そのことに救いを見るような気がしています。」
と述べておられます。
私たちも、中村医師の祈りを共にしたいと思います。そして何よりも、私たちの置かれている場で、私たち自身の「一歩を踏み出す」事を心がけましょう。
その時に私たちは神様からの「命に出会う」事が出来るのです。その時に私たちは、イエス様の誕生に出会う事が出来るのです。
救い主、イエス・キリストの誕生を静かに受け止め、喜びの時としましょう。